発達障害は、比較的、最近に発見され、定義された、
ICDやDSMという基準で分類可能なものだ。
よくある論で、「昔は単なる”やんちゃな子”と言われて
いただけのような子がどうして…」というものがある。
これに対しての回答は、「生きづらさ」と「人それぞれ」の
二題話に終始する事については、以前のエントリーで述べた。
どうして、新しい病気がどんどん増えるのだろう?
過剰診断 健康診断があなたを病気にする 筑摩書房
過剰診断というものは、ある。父が存命だった時、夜中に高熱を出して
うなっていた為、夜間の当番医に救急車で連れていってもらった事がある。
色々と見てもらって、熱が下がり、問題がないという事なので、
夜明けの3時に帰って下さい、と言われた。
まず、朝まで寝かせておいてくれない…これだってリスクだ。本人にとっても
家族にとっても。ちなみに、点滴のチューブが腕に付いていたままだったので、
僕がそれを指摘したら「ああ、いけない、忘れていた」というような事も
言って外してくれた。
帰宅後、父が、排尿時の痛みを訴えるようになった。どうも、当番医で、
尿道カテーテルで排尿をさせたようなのである。その時に、尿道が
傷付いたようだ。つまり尿道炎になってしまった。
尿道カテーテルを使用して排尿させた理由を問い合わせたところ、
熱を下げるための処置、だというように聞いた。しかし、別の医者に
参考意見として問うと、それは必要な処置だったのか、利尿剤でも
対応できたのでは?そもそも排尿させる必要は本当にあった?
とも教えてくれた。
どちらが良かったのかわからない。医者によって、同じ症状を見ても
対応が違う、というのはもっと知られても良い事実だ。
過剰診断について、僕たち患者や、患者の家族として、病院に責任を問う
事はできない。診断しても見過ごしたとか、そういう事ばかりが訴訟リスクに
なる時代である。それは皆さんもニュースで見る事は多いかと思う。
あるべき処置のミスを問われる事はあっても、過剰診断について問われる
事はない。明確に、診断、処置すべき事を誤ったのでなければ、
そこまでは言えない…という事だ。
医者は、やるべき事をやるだけだ。
患者は、病院で診察を受ける事が、無条件にメリットを得られるものだと
思ってしまうが、過剰診察のデメリットと、病気を発見し、治療する事による
メリットを、ある程度、統計的に把握しておく必要もあるように思う。
甲状腺ガン…の、福島のスクリーニングの件が話題になっている。
診察のメリットとデメリット、これを、トレードオフで考える必要がある。
甲状腺に小さなガンが見つかったとして、甲状腺を摘出する手術をすれば、
体にダメージは残る。
前立腺ガンも、統計的に、ある程度の人には見つかるものであって、あったとしても、
それが死に至るか?という事を見ていくにあたって、インポテンツになるリスクを
無視して、どんどん、前立腺を取っていこう、というのは極論である。
疑似科学の話ではなくて、経済科学的な、トレードオフの観点である。
昨今、新しく病気が誕生しているのは、こういう状況も関係しているように思う。
過剰診断の方がリスクが小さく、診断をしない事の方がリスクが大きい場合、
既存の病気に加えて、新しい病気を定義するようなインセンティブが、
医療の世界全体に広がっていく。
病気というのは、一種の概念のようなものであって、
概念をひとつの生産物と考えた場合、
その生産物を新たに発見・定義するインセンティブ
が働くからこそ、新しい病名が誕生するのである。
病気という概念、生産物を、新しく発見すればするほど、
訴訟リスクは減り、収入が増える。
故に新しい病気は誕生する。
新しい病気を定義する誠実さと、発見する事自体のインセンティブは、
同時に存在できる。
経済モデルに当てはめてみると、医者は生産者であり、病気は生産物であり、
患者は消費者である。医者のせいで病気になるという話ではない。
現代の医療というものは、あくまで病気を、定義可能な、概念として
扱えるようになった為に、発展した部分はある。病気の分類を行って
整備していくのも、そういう理由である。
そのように高度化した医療の世界というものにおいて、前述のような、
インセンティブが働く構造がある事自体は、むしろ自然な状況のようにも
思えるのである。ただ、それが、必ずしも、個人の人間にとって
常に望ましいかと問われれば、僕は、違う場合もある、とは言いたい。
医者自体は誠実である。製薬会社にしても、志を持ってやっている。
それには敬意を払う。だからこそ、この話は言いづらいし、
「病気」は概念であるとか、ましてや生産物であるとか、
経済モデルで疑似できるとか、これは、愚弄するためにそう言っているのでは
ない。原点は、「どうして発達障害というものが発見されたのだろう」
という疑問、一点である。
不完全さを認めている経済学でさえ、世の中が不景気になると、政治が悪い、
与党が悪い、という話になる。医療という分野においては?
これ以上は言うまいよ。
この記事について
このページは、2019年7月17日の午前3時23分に最初に書かれました。
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