自治会(町内会)、PTA、商店街、
何かにつけて「イベント」が多い。
「イベント疲れ」という言葉もある程…。
ミニマム(最小限)の活動をしたいが、
ミニマムを実現するには、それなりに
誰かがリーダーシップを取り、なおかつ
嫌われ役も引き受けながら、イベントの
リストラをしなければならない。
故に、ミニマムにはならない。
役職、会議ゴトの多い事、多い事…。
この三つの中で、一番断れないのは「PTA」
だそうだ。
「個から公へ」なんて寝言もあるが、
PTAが本来の「個」「民」から「公」へ
遷移していった事による惨事…、
保守派がそれを総括しないのは、所詮、
奥さん任せにしているからですな、そういう
地域の役職ゴトをね。
女が家を守るなんつって、保守論壇の婦人
たちに自治会、PTAの役職を押し付けておいて、
いざ自分の実感から「コミュニティが崩壊した」
なんつってブチあげて、お前、役員やれよって
言いたくなりますわな。
リキッド・コミュニティを指摘した作家、
もう亡くなっているらしいが、彼の最後の著書が
レトロピアだったようで、いや、わかるよ、
わかるよって感じや。
かつてのコミュニティ崩壊論は何だったのか、
そしてコミュニティ崩壊論と共に広がっていった
インターネットコミュニティ、そして
レトロピア…官民あげての街おこし、地域活性化
ブーム…このあたりの事で、僕なりに考えている
事があるんです。
レトロなコミュニティは確かに崩壊しつつあったが、
「会えるアイドル」に象徴されるように、
インターネットコミュニティも「近接の欲求」を共に
持っていて、バーチャルで完結する関係性というモデル
だけでは動いてはいない。
ご近所さんと繋がるには、自治会で活動するよりも、
Facebook、LineなどのSNSを使った方が
便利で確実になってしまった。自治会やPTAも逆に
そういうSNSインフラを利用して呑み込むような
状況になっている。
そういう中で、かつて20世紀末から21世紀初頭にかけて
唱えられた「コミュニティ崩壊論」は、
その論が崩壊していった…と僕は見ている。
コミュニティ崩壊論も、所詮、論壇の日銭稼ぎの
テーマでしかなかった。
論壇においても、どうしても東京の論壇の声が
大きくなってしまう為、東京の自治会のコミュニティが
機能していないだけで、全国的な状況であると喧伝する
ようになってしまう。
しかし、マンション住まいであっても、謎水騒動を見ても
わかるように、マンション自治会というのもかなり重要な
機能を持っている。
Amazonの「孤独なボウリング」のレビューでも批判されて
いるが、コミュニティ崩壊論は、レトロピアな、かつての
コミュニティのスタイルが支持されなくなった事を、
普遍的なコミュニティそのものが崩壊した、と牽強付会している
ところに問題がある。
自治会の加盟率と、近所同士の親密度は、
必ずしも比例しない、という事です。
有事において自治会は有効だとも言われるが、
本当に必要なのは組織の前に、近所同士の親密さであると
思う。あらゆるこの手の団体活動は、必ずしも親密さを
育てる方向にはゆかず、時には反目を呼んだりもする。
行政なり、税金なりで助成しているからやっているだけの
事であり、やっぱり日本は、とんとんとんからりと
隣組、なんですなア。
総務省の「事例」でも、インターネットコミュニティは
取り上げず、結局自治会の活動を紹介する訳ですから、
むしろ、「コミュニティ」を「公」から「民」に
取り戻す事が、まるでSelfishな行動のように思われるのが、
本当に、心外ですね、保守論壇諸君!!!!
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