Habahiroku-Iken-Atsumeru

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幅広く意見を集めるのが大事、だという。故にネットで意見を集めると意見が偏りやすく、新聞を見るべしなんて言われる。しかしどうだろう?このコロナ騒動に関して、新聞の紙面というものは実に一方方向であった。新聞の信頼性というものを僕は失ってしまった。テレビにしても然りである。
 
まずもってして、毎日ニュースがある訳がないのである。先ず、日日新聞というものが誕生し、毎日ニュースをお届けするというスタイルが発生した。つまり、”毎日ニュースを作り上げる”供給側の都合である。誰かが見出しを考え、トップ記事を決めている。ニュースは必ず誰かが取材して書かれた”文章”や”写真”や”動画”である。
 
熱心に書かれた記事や、綿密に取材した記事があれば「新聞が売れる」訳ではない。大衆の感情を損ねないように書かなくてはならない。また、大衆=読者の理解できない事が大半を占めてはならない。我々、民間の商売をやっているものが、採算度外視で”良心”を発揮する訳ではないように、彼ら彼女らも、良心で記事を作っている訳ではない。
 
例えば、三年前を思い出してみよう。1月から12月まで、それぞれの月で、”特筆すべき”事件は何だろうか?そんな事を思い出せるのはレポーターの福澤氏くらいなものであり、みな、忘れて忘れて生きている。つまりニュースや記事を消費して生きている。ニュースを消費していないと、時代に乗り遅れるのではないかと、不安になるからだ。
 
そうなると、週刊誌ぐらいのペースで、ニュースを読んでいくのが良いのではないか、と僕は思っている。週刊誌であれば、その週に傑出した週刊誌を読めば良いからだ。定期購読である以上、他誌を出し抜こうという意識はなくなっていく。これまでの基調でこれまで通りに書くだけであり、それは仕方のない事ではある。だが、僕も、そろそろ新聞というものを取るのをやめても良いのではないか…と、少し、それが、気がかりのように頭の中にある。


この記事について
このページは、2020年6月6日の午後5時36分に最初に書かれました。
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