感情をコントロールする

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自分の中に「これは素晴らしい」「これはダメだ」という
評価軸がある。
例えば「自治会長はある程度の人格者であり見識がある」
「浮浪者は中には頭の良い者がいるだろうが、だいたいはクズ野郎だろう」
 
自治会長に対する期待値の方が、
浮浪者に対する期待値よりも高いだろう。
 
だから、自治会長に暴言を吐かれるのと、
浮浪者に何らかの理由で暴言を吐かれるのでは、
怒りの度合いが違う。
浮浪者には期待していない(=人格を求めていない)ので、
不愉快な感情は長続きしないだろう。
 
時代性ではなく、権力は常に腐敗するので、
偉いとされる立場、立派であろうとされる立場の人間の人格が、
暴言を吐く浮浪者並みに腐っている事は有り得るだろう。
 
この一年、なるべく静かな一年を送りたいのだが、
感情が静かというのはつまり、期待すべきでない人には期待しない
という振り分けが重要になってくると思う。
 
これまでの事を振り返って、本当に気が合うな、という人とは
まずトラブルにならないし、
暗雲立ち込めているなーと思う人とはトラブルが発生する。
暗雲が見えていない訳ではないのである。
 
流石に今年、40になるので、
この人とは長くやってゆけそうだ、
この人とは無理だろうな、というのがある程度わかってくる
年代になってきた。
 
人だけではなくて、モノや場所、趣味や行動に対してもそうで、
これは長続きするだろう、
これは一過性のものだろうな、というのは、かなり早い段階で
判断できるようにはなってきている。
 
つまり、感情をコントロールするには、あらゆる客体に対して
正しく判断をする、という事が重要になる。
このブログに関しても、これ以上論じても無意味だな、と思えば、
それ以上詰めていってもしょうがない訳であって、
そのへんのセンス、感覚を大事にしたい。
 
暗雲は見えている。
暗雲が見えているのに飛び込んで、傷を負ったら、やはり嫌な訳であって、
詰めていって芽が出るものにリソースを注ぐ、というように
コントロールしてゆきたい、 と思うのである。
それはそれで、「嫌だけれどもやらなきゃいけない事」はしっかり
やっていくつもりだ。
 
「嫌だけれどもやらなきゃいけない事」をオフショアできると
説いているネットワーカーは、欺瞞の塊である。
それをオフショアする事がクールだとする、何ていう、詐欺師的言説
なのだろうかと。名前は敢えて出さないが…。
既にトイレのウンコをオフショアしている僕らが、これ以上、
何をオフショアしたらクールなんだろう。
 
最近は、健康面でいったら無問題なので、
HTML5の初級ライセンスの資格を取ろうかな、とも思っているが、
社会学、哲学方面の読書があまりにも面白くて、
これSteam超えたな…と思って、休んでは読み、読んでは休みの
毎日であって、前エントリーの保守論壇批判は、その成果だ。
 
てな訳でマルマルモリモリ。


この記事について


このページは、2019年1月1日に最初に書かれました。
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