そもそも

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自分もかつては”ネット右翼”だったのかも知れない

 
そもそも、ジョン・アーリを読み出したのは、
アズマンの「検索ワードを探す旅」をたまたま読んで、
そこでアーリの「観光のまなざし」が紹介されていた
からであった。
 
アーリの著作は、とても引用する本が
多いのであるが、それがとても魅力的に
引用されていて、そこから引用元を手繰っていった。
 
僕が、前の投稿で保守論壇を批判したのも、
元は僕も保守論壇の本を良く読んでいて、
言わば群れからフォークした獣が
古巣を攻撃する…といった行動である事は否めない。
ネット右翼ではないが、それに近い事は言っていた。
 
今の自分は、右派であるか、左派であるか、
中立であるかというのはわからないが、
「右派であるからこういう事を言う」
「左派でありながらこういう主張もしてしまう」という
エクスキューズに、今やオリジナリティはないとは思っている。
 
鬼畜米英!と竹槍で藁人形を突いたから愛国者、
マリアの踏み絵を強かに踏みしめたから非切支丹、
などと、わかりやすくパフォーマンスできる時代の状況ではない。
右派-中立-左派という以外に、複数のマトリックスがあって、
それぞれが干渉し合い、矛盾するという事は往々にして有り得る。
だから論敵のメインの部分で真正面から批評する事が大事だ。
 
保守論壇の定番として、「朝日新聞を攻撃する」
というのがある。要は朝日新聞は日本を代表する
クオリティ・ペーパーなのに、こんなに論理の
破綻がありますよ、というアレだ。
 
しかし新聞というものは、欧米を見てみても、どうしても
「大衆紙」という性格を持っているので、
ある程度大雑把な部分はあるし、リクルート事件にしても
イトマン事件にしても、最初に報道するのは大抵は週刊誌だ、
芸能人の不倫をテレビが暴くという事もない、
それを考えると、新聞というものの論理破綻というのは
許容すべきものではないかな、とは思う。
批判は自由であると思うが…。
 
保守論壇を批判するからと言って、ナショナリズムが
ない訳ではないし、良き市民でありたいとは願うが、
もしかしたらコスモポリタンのように外形的には
見えるのかも知れない。
 
自分が本質的に、何を信じて生きていくべき人間なのか、
というのは、僕にはいまいちわからないところがある。
例えば、僕が「保守論壇は公-私の議論を公のマナーという
議論に矮小化した」と書く事と、公のマナーを大事だと
思う事は別の事であるし、
ごみ捨てがいい加減な人には腹が立ったりする。
 


 

商店街とモールの戦い

 
商工会議所の友人との軋轢や、
自治会の仕事を通して、コミュニティというものの存在というものが
ますますわかるようになり、一方でますますわからないようになり、
直接体験するローカリズムというものを、少し整理したくなった
という部分があって、都市論を読んでみたり、
ジョン・アーリを読んでみたりしている。
 
例えば、ラブライブによる聖地巡礼というものを評価するにあたって、
アーリの場所と移動の社会学というのは有効な補助線になるし、
都市論、都市再生の本も沢山あるのでそれも参考になるだろう、
確かに「商店街」という概念は、戦後発明されたものであるが、
より「街」らしくなったショッピングモールの方が人を集める
ようになってきている。この「商店街」から「モール」への流れは
世界的なブームである事も了解した。
 
ラブライブによる聖地巡礼、それによる観光化というのは、
商店街をテーマパーク化する、つげ義春がエッセイを書いて
いた時分からあった「テーマを掲げた街おこし」ではある。
「モール」は一つのテーマがある。テーマに対抗するには
テーマだから、最近の町おこしには、必ず商店街がテーマを
持つような流れになってきている。
 
商店街が駐車場を持っているのも、モータリゼーションに対抗する
流れではあるだろうが、よりモータリゼーションに適応している
のは「モール」であるし、一体化したキャンペーンや雰囲気を
作り、まるでひとつの「街」としてリアリズムがあるのは
今や「モール」だろう。
商店街は、現代の「街」として、モールに立ち遅れている。
 
かつて、百貨店が商店街と争った時代があったが、
地方の百貨店は撤退し、その代替として、郊外にモールが
誕生し、モータリゼーションに完全に適応する形で、
今や、消費者を乗せた自動車を次々に巨大な駐車場に吸い込んでいる。
 
商店街自体に、勝ち目のある戦いでは当然なく、
商品力のある強い個店は生き残るであろうが、
資本のなく、特色のない商店街の個店は生き残りが難しいで
あろうし、ラブライブの聖地巡礼というキャンペーンで
どうにかなる訳がない。
 
だが、単純に「住んでいる街が”聖地”になる事に興奮する」
「この街にわざわざ来てくれる事が商売を離れて嬉しい」
「新しい顧客が得られるかも」などと、シンプルに考えて
いらっしゃる方々もいるようで、
僕は思うのだが、JR等公共交通機関と宿泊施設が
大半のラブライバーの消費を担っている中で、
ラブライバーを商店街でご接待するというのは、
まるで宿泊施設のボーイを無料でやっているような
ものではないか、とさえ思うのである。
 
本当に、人が良いとしか思えない。
僕が本当に悲しいのは、この、どこまでも限りない人の良さだ。
商工会議所から降ってきたイベントをただ、我慢して消化していく、
勝ち目のない戦いに動員される、人の良さだ。
個店として生き残る以外に、僕は術はないと思う。


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