出羽守とナショナリズム

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フランスではこんなに良い制度がある、
北欧ではこんなに素晴らしい、翻って日本は、という論は
出羽守、と俗称される事がある。
 
通常のナショナリズム…これはわかりやすい。
日本は素晴らしい、とにかく凄いぞ。
これは説明が不要である。
 
日本はこんなにダメだダメだ…、また、
自分の住んでいる街はダメだダメだ…、注目に値するほど、
群を抜いてダメだ…という事を言う人もある。
 
日本は特別ダメだ、自分の故郷は特別ダメだ、という
話においても、ある種のナショナリズムの力学が
働いている。たまたま、自分が生まれた国、
生まれた故郷が「特別ダメ」というのは、
運命論的であるからだ。
 
これが個人同士の関係になって、上司が部下に、
夫が、教師が、コーチが、
「お前みたいなひどい奴は見た事がない」という
話…これも、その理屈で言えば、ある種の自己愛、
若しくはその相手への愛着であって、
「特別良い」も「特別ダメ」も、ある種のナショナリズムや
愛着を示している場合がある。
 
「特別にひどい奴」という認識で言えば相手のへの愛着で
あるし、「特別にひどい奴に巡り合わせた自分」という
観点からは自己愛となる。この運命論的な考え方が、
ナショナリズムや愛着の力学と解釈が可能だろう。
 
「みんな違ってみんなダメ」という考え方をする必要も
あって、抜群に良いだとか、抜群にダメだとか、滅多に、
我々一般社会の登場人物で出てくる訳がないのである。
確率的に…。
 
自分が、その状態に陥っていないか、時々自己点検したいと
思っている。それは、自分の人生を客観的に見る事にも
繋がる。


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