批判は自由

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誰かに批判されたとしても、相手が批判する事自体は
自由。だが、こちらがそれを受け容れるかも自由だ。
逆の場合でも同様だ。こちらが誰かを批判するのは自由
であるが、相手がそれを受け容れるかどうかは、
わからないのである。
 
コミュニティの体育部を辞めるにあたって、
辞める直前にも嫌味があり、辞めてからも少々の嫌味は
あった。
 
まず辞める直前に、僕が「これからも体育部を続ける」
決議をされ、辞めてからは「あいつに任せて大丈夫か」
「影でコソコソやらないで表に出てこい」などと言われた。
 
人間としての節度…というものを、失った人の批判は聞く
必要はないだろう。確かに頭に来るが、そんな馬鹿な奴でも
批判する自由はある。これは「表現の自由」だ。
そして、「結社の自由」があって、結社するのは自由だが、
脱退するのは自由である。それが日本国憲法だ。
 
批判は自由だ、そしてそんなのを聞く義務もない。
言わせておけば良いし、改めて話し合いの場を設けるというので
ない限り、”逃げるは恥だが役に立つ”である。
どうあがいても、日本には、ディスカッション、ディベートの
素地がないのだから、地方のドロドロした場で、まともに
話し合いが出来ると思わない方が精神的に健全である。


この記事について
このページは、2019年6月16日の午前7時10分に最初に書かれました。
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