子供の発達障害の原因は何だろうか。
全てを親のシツケのせいにするのもおかしいし、
全てを脳のせいにするのもおかしい。
親のせいでもあるし、本人の性格もあるし、
先天的な要素も、後天的な要素も、
生まれた環境や土地も、食べ物も、
脳のせいでもあるし、遺伝的な要素もあるし、
周囲とソリが合わないせいもあるし、
それこそ、あらゆる原因が因果となって、
子供だけではなくて、僕たちの性格や行動というものを
決定付けている。
何かひとつのものに還元するのは、違う。
それだけの事であり…精神医学というものが、人間というものを
全て説明できる訳ではない。それは親のしつけなり、
環境なりもそうであって…。
DSM-5であってさえ、まず前提として、社会的慣習や通念を
超えた病的な行動や思考…を対象としている事を思い出す
べきだと思う。そうでないと、発展途上国の呪術的な思い込みを
病気と診断する事になるからね。シニカルに、そうだ彼らは病気だ、
あの偉人もこの偉人も発達障害だ、というのはあまりに愛がない。
愛なくして病気が治る事がない。そのシニカルさが正に笑いものだ。
昨今、学校においての、教室経営の失敗は、極端なイジメによる
自殺…などにフォーカスされているような気がするのだが、
そもそも、手に余る子を何とかするのが教室経営ではなかったのか。
そして…教室経営に失敗したって、仕方ないのである。公務員なんだ
から。あくまで給与と契約の範囲内でしか、教室経営はできない。
問題児を大問題にする社会的風潮が、発達障害というカテゴリーを
生んではいないだろうか?
日本において、まず、
均質な社会性、文化性が存在し、それから外れた人間は
特性を獲得している…というのが、不思議な世界観であるように思う。
陳腐なダークヒロイズムを、現実に持ち込まないで欲しい。
そもそも…人間というのは、落ち着いていて、秩序を保つのが
正常であろうか…とも、思う。ましてや子供である。
大人の発達障害でも同様であり…そもそも、この企業社会、
サラリーマン社会に順応するのが正常であり、そこから外れた
人間に病的な性質がある…と、決めるのは本来はとても難しいのでは
ないかと思うのである。
社会学は、死んでいる場合ではない。
かつて…共産主義が讃えられた時代があった。共産主義に希望を
感ずる時代があった。現代はどうだろう?日本共産党ですら、
支持者の一部から、「共産」の文字を降ろすべきでは…と言われている。
パラダイムは必ず転換する。その転換が良いか悪いかは
わからない…。
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