クレタという活動家

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クレタさんという、環境活動家の演説の
和訳を読んだが…。
 
彼女の言う事は正しい、何故なら、
「未来の世代」という、無垢の立場からの
主張だからだ。
 
彼女が、環境活動家としてキャリアを
積み続ける限り、同様の主張を続ける
事ができるだろう。
 
誰もが、彼女の立場と、彼女と同じだけの
度胸があれば、同様の主張はできる。
だが、主張は主張だ。若さ故、愚かさ故
の事だ。
 
若い環境活動をを、国連のああいう場に
あげる…という事自体が、パフォーマンスの
一種だ。国際機関は、CO2削減に関して
本気である、という事を示す事になる。
パフォーマンス自体はいけない事ではない。
 
だが…これまでも、これからも、
この手の事は、よく見る景色だろう…と
思うと、陰鬱な気分になる。
あからさまに、何らかの意図で利用するために
あの場に彼女を出してきた訳であって、
その意図が成功したかどうかはともかくも、
彼女の演説を、学校教育などで利用したり
していく茶番を考えると、寒気がする。


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