現代の先進諸国の国家は絶対に破綻しない、
だから「年金問題」が存在する事自体が有り得ない…
といった、強固な信仰があるように思う。
政府与党や行政が、年金の持続可能性に対して
ネガティブな見通しを出しただけで、国民感情は
兎も角、ニュースになり、ネットニュースになり、
野党は反発する。
そして「アベが悪い」「自民党が悪い」「厚生省が悪い」
となり、そういった犯人探しは、
「子供を産まない女性が悪い」といったところにも
飛び火しがちだ。当然、大騒ぎしている野党や
メディアが悪い訳でもない。
年金が持続できるか、できないか、
年金とはいわば「講」のようなものであって、
お金を出し合って助け合うというのが本願な訳である
からして、「講」を支え切れなければ、どんな「講」だって
消滅の危機はある。
現代の国家は消滅しない、こういった信仰は、
いわゆる「現代金融理論」のように、国債の無制限な発行
といった理論にも繋がっていく。引くも地獄、引かぬも地獄
であって、池波正太郎の「真田太平記」を読み返しながら、
人間のドラマというものには普遍性がある、と感ずる。
仮想通貨を巡るドラマも人間的であり、こと、人間、という
もの、お金、というもの、これの本質というのは
変わらない。
どんな天才でも、人間、お金、これについては本当に
見誤る事たびたびであり、僕のような凡夫はますます
陥穽だらけの、人間とお金の道を、よろめきながら歩いているような
ものである。
この記事について
このページは、2019年6月11日の午前4時58分に最初に書かれました。
その後も、内容を更新したり、削除したりする場合があります。
古い記事は、内容が古くなっているか、間違っている場合があります。
その場合でも、訂正や修正をしない事もあります。
また、記事は、用語の厳密性に欠き、表記揺れも含みます。
厳密な調査に基づいた記事ではありません。これは筆者の主観です。
怪文章のようなものもありますので、回覧にはご注意下さい。
自分でも、「馬鹿が馬鹿言ってる」と思うような記事もございます。