応援練習

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僕が高校生だったのは、1995年~1998年で、
その時は「応援練習」というものがあり、
複数の応援歌、校歌を覚えて絶唱するという
儀式があった。
 
日本の校歌、応援歌というものは、
伝統校であれば、基本的に軍歌をベースに
作られている。また、日本の組織というものも、
軍隊の組織がその源流となっているので、
応援練習というものに、一種のアレルギー反応を
示す人が出ても無理はない。
 
そういう意味では、
生徒の自由意志をもっと認めるべきであるが、
現実的には、「面従腹背」という言葉を
授けたい。
 
今もあるのかな…と思って、母校の名前で
検索してみると…まだ…あった。
 
母校では、体育祭か文化祭の時だったか、
委員が選んだポップスを歌うという事もあり、
サザン、ミスチルなんかを当時、歌った記憶が
ある。僕は当時はサザン、ミスチルは好きだったので、
楽しく歌ったのだが、これとて、好きでない人は
いるだろう。組織とは団体戦、団体芸である。
 
学校の授業とても、一種の、団体戦、団体芸だろう。
人類の長い歴史から見ると、ひとつの部屋に集まって
時間割に従って授業をする…というのは、近代以降の事で
ある。寺子屋を紐解いても、寺子屋は全員参加ではない。
この「授業」というのは、そもそも動物である人間にとっては、
曲芸を仕込むようなものだと考えても、
差し支えないように思う。
 
応援練習は、確かに理不尽ではあるのだが、
応援練習で落伍したものは生涯、落伍者ではないし、
同様に、高等学校で落伍したものは、生涯、
落伍者ではない。退学してしまうのは、勿体ない
ので、ダメ人間でも、卒業すれば世界は変わるし、
良い事はあるよ、と伝えたい。
 
学歴や、経歴というものは、上を見れば果てしなく、
下を見ても果てしない。そもそも、日本には、戸籍のない
人もごく少数だが、存在している。
 
落伍したものは、零落したものに目がゆくだろう。
人は傷付かなければ、優しくする事はできないので
ある。
 
学歴を必要としないほどに、強い人間になりたい、
若い頃はそのような夢を見がちだ…本当の知性や実力は
学歴では手に入らない…などという夢を…。
 
在野の学者、在野の実力者…というのは、いるには
いるだろう。なるほど、今なら、Youtuberには学歴は
必要ないだろうが…。昭和の時代から続くような、
夢物語を、また、今の若い人たちも夢見るのだろうか。


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このページは、2019年9月3日に最初に書かれました。
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