「社会に悪影響」への警戒

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最近のネットニュースを見ていると、
誰それがこんな暴論を言った、それは
いわゆる「ポリティカル・コレクト」、
政治的に正しくない発言を諫めるといった
立場からの批判であるのだが、
 
何かしらの立場のある人が、暴論を言う
事は全く許されず、社会への悪影響を
異常に恐れる社会という、何とも複雑な
様相を呈してきた。
 
確かに、透析患者はナントカだとか、
優性思想的な発言であるとか、
羊水がどうとか、オバハンがどうとか、
政治的に正しくないだとか、人としてどうなのか
とか、不倫の報道にしてもそうであるが、
 
守るべき社会というものが、非常に無垢で
無謬な存在であり、社会には間違った事を
伝えてはならない、というのを、異様に警戒
する状況にある。
 
かつてよく言われた、サイレント・マジョリティの
議論にも似て、それこそ正体が掴めない世論だとか、
社会だとかを人質に取って、暴論をどんどん
摘み取っていこうとしているように思う。
 
暴論が溢れる社会を望んでいる訳ではないし、
現代国家として、立場のある人が意識の高い発言を
求められている現実はある。あらゆる発言がニュースに
なる時代ではあると思う。
 
だが、何にせよ、「発言」がニュースになりやすいし、
その背景は、発言をニュースにするのは、ニュースに対しての
コストの便益が効率的である、という事情はある。
発言に対して、識者に解釈してもらえば良いからだ。
 
こういう状況が嫌であれば、僕たち視聴者は、
良質のノンフィクション、良質の取材に対して、
お金(=購入)と時間(=視聴)をかける事で
対抗すべきだ。
 
くだらないニュースを見れば見るほど、
くだらないニュースは増えていくのである。
それこそ、社会にくだらないものが溢れる事を、
どんなに嘆いても、個人が社会を支配する事など
できないのだから。
 
「世論」というものを、異様に警戒したり侮蔑したり
する事で、安易なファシズム批判、安易な衆愚批判に
陥るのを、僕は90年代から2000年代までずっと見てきた。
世論も、社会も、正体や実態が掴めないものであるし、
この手の警戒論という帰結が、ナショナリズムの衝突という
昨今の状況の通底和音になっているような気もして、
日本には、イギリスや、アメリカのような保守的な
選択をしてもらいたくないが故に、
僕はこのように主張している。
 
それこそ杞憂であれば良い。とりあえず今の状況で
悪くないならそれにこした事はない。


この記事について


このページは、2019年6月11日に最初に書かれました。
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