アンドロメダ出張始末記

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西暦2517年、閏月13月、宇宙風土学者の私はニューヨークへ行かなければならなかった。きっかり100年前、太平洋に巨大彗星が衝突しようとした。その100年目の慰霊祭の打ち合わせである。当時の最高の技術で彗星の軌道を逸らす事には成功したが、地球の自公転はいささか狂って、閏月を設けなくてはならなくなったのであった。亡くなった方は、彗星の重力に引き付けられて、そのまま宇宙の彼方に消えてしまったのだった。現代の技術なら、太陽系に入る前に彗星の軌道を修正できるだろう。

東京のターミナルから、ニューヨークに行くにあたっては、火星のターミナルを経由すれば半額で行ける。私の持つ膨大な種類の電子マネー、クーポンを、私の端末が解析してくれ、これが総合的に最適なコースなのである。ニューヨークに行く前に、火星に立ち寄りたい気分もあった。私は宇宙バスに乗り、火星へと向かった。

宇宙バスに乗り合う人々は、カーキ色の作業服を着た男たち、ビジネスの装いをした女たち、社会科見学の子供たちや教師たち。私は風土学者の眼で彼らを見た。彼らは非常に快活で、エネルギーに満ちていた。止まる事のないお喋りとジェスチャー。宇宙開拓の時代を感じ、気分が高揚する。

程なくしてバスは火星に到着した。火星は西暦2300年ぐらいには開発が完成しており、現在では24世紀の遺物を楽しむ複合都市惑星として機能している。火星は賑わっていた。火星の小さなターミナルを出ると、広場では大道芸人がボールを投げたり、ハシゴの上に乗ってみたり、口から旗を出したりしている。私は思わず微笑んで、電子マネーの幾許かを投げ銭し、彼らの感謝の言葉を背に、街へと向かう。

乗り換えまで一時間ほど。乗り換えの宇宙船は、連邦政府のあるアンドロメダからの旧式の輸送船である。荷下ろしの関係でたまたま、火星のターミナルに10分ほど停まってくれる。乗客も少しだが乗せるスペースがあり、運賃は安い。喫茶店で時間を潰す事にする。

喫茶店は、まるで20世紀のような雰囲気の喫茶店だ。火星の開発にはアラブの石油マネーと日本の技術力が使われていて、その関係上、昔からの店は日本風かアラブ風が多い。ここはその折衷だ。店の名前は、「純喫茶レッド」。ここでは100%火星で作られた珈琲を飲む事ができる。火星に来た時は、よく来る場所だ。

私は、店員に火星珈琲とオムライスを注文し、その場で決済してもらった。現在、電子マネーは1億ほどの種類があり、私も数百万種類ほどの電子マネーを持っている。アンドロメダから地球まで、連邦の人口は捕捉されているだけで8000~9000億人といわれているし、それだけ有象無象の電子マネーがあるわけだ。

組合から出張費としてもらった電子マネーで決済しようとするが、店舗の端末はそれに対応していない。すぐに私の端末が対応する電子マネーに両替してくれ、決済は完了した。私は音楽を聴きながら、火星の赤い大地を眺めつつ、かつての火星大開発の時代に思いを馳せた。火星は思い出深い場所だ、私の父方の曾祖父は火星の大学に行き、そのまま火星で生活し、結婚している。

考え事をしているうちに、火星珈琲とオムライスが届く。火星珈琲は火星の赤土で育った、苦みの強い珈琲で、かつては爆発的な人気があった。ここのところは、文化も経済も、中心となるのは連邦のあるアンドロメダだ。

私は、何だか眠くなってきた。ほんの十分ぐらい、うつらうつらしていた。宇宙船が来る時間になれば、私の端末が起こしてくれるだろう。火星珈琲は、珈琲なのに少し眠くなる成分を含んでいる。キラキラとした夢を見た。

ハッと目が覚めると、あたりは薄暗くなっている。どうした事だ。
「おい、どうした、起こしてくれなかったじゃないか」
「旦那様、それが、私も眠ってしまっていたのです。すみません」
「じゃあ、しょうがないな」

私は人間らしい端末を選んで買ったので、これも仕方ない事だ。人間に人権があるように、端末にも端末権がある。私は端末の休憩を容認する立場だ。

慌てて店を出て、火星のターミナルまで行くと、私が乗ろうとしていた乗り合い宇宙船がまだ停泊している。駅員に事情を聞いてみた。

「まだ発車しないのですか」
「それがね、今、とても渋滞していて、ニューヨークへの入国制限をしているようなのだ」
「それは困りました」
「なあに、大丈夫、そのうちカタがつくさ。切符は?」
「ありますよ」

私は、端末に、切符をプリントしてもらった。

「うん、じゃあ、船にお乗りなさい」
「助かります」

私は指定された席に座り、ぼんやりと外を眺めている。もうこんなに薄暗くなっている。ニューヨークでの用事は明日の午後であるから、ホテルに入りさえすれば充分間に合う。座席で映画を眺めているうちに、船内アナウンスで、渋滞が解消されたため、1分後に出発しますとの事。私は、映画を観ながら、再び眠ってしまった。

ほんの10分ほど眠ったところで、端末が起こしてくれた。

「旦那様、着きましたよ」
「随分早いな」
「火星のターミナルからニューヨークまでは、12分で到着します。そう、渋滞さえなければね」
「手続きは?」
「入国手続きも税関も全部やっておきました。行きましょう」

そのまま、シャトルに乗ってホテルへ向かう。シャトルは一人乗りなので気が楽だ。やはり地球が一番便利なような気がする。アンドロメダはもっと便利らしいが、私はアンドロメダに行きそびれた男だ。修学旅行の時、私の他、数名のビザが下りなかった。今ならビザなど必要ない。ホテル行きのシャトルに乗った時点で宿泊の手続きも端末がやってくれて、無事出張費の電子マネーから決済できた。そのままシャトルは部屋に入る。

私は部屋に荷物を置くと、そのままシャワーを浴びて、カレーを食べながら少しの酒を飲み、端末で出張先の者と少し打ち合わせをして、そのまま眠ってしまった。

翌朝、モーニングコールで起きると、端末がため息をついている。

「どうした、お前」
「電子マネーとクーポンの整理が終わらないのですよ。どれだけ処理をかけても、どんどん減る一方で」
「私の稼ぎが悪いから、しょうがないよ」
「いや、それは理由にはならないです。整理して、運用すれば、もっと増やしている端末の同期はいっぱいいますから、頑張らないと」
「あまり無理するなよ」

朝食はサンドウィッチで軽く済ませ、通用口から出てシャトルに乗り、出張先に向かう。出張先のビルの会議室で、慰霊祭の打ち合わせをする。私の提案もある程度受け入れられ、報酬の電子マネーとクーポンをもらう。また、会議のあと、アンドロメダの人に私の宇宙風土学のあるデータを売却できる事がわかったので、コピーで渡す。

端末が、ニューヨークのデータ立ち合いを見たいというので、連れて行く。立ち合い所に行くと、大勢のディーラーが、端末を頭上に振りかざして、競りを行っている。データの売買をしているのだという。端末はとても興奮している。

「ねえ、旦那様、見て下さい。この宇宙大開発の時代に、こうやって、まだ、立ち合いをやっているって、素敵な事じゃないですか」
「転送すればいいのに、何でこんな事を」
「鞘取りで儲かるのですよ。データの価格にも、順鞘、逆鞘があってですね…。僕も、データの先物取引とかやってみたいなあ。いいでしょう、旦那様」
「ダメだよ。先物は、株や債券で充分だ。データの先物なんて嫌だよ」
「ちぇっ…」

ここで読者諸氏のために、私の端末の姿を紹介しよう。端末は、ボリュームゾーンの平均的なもので、私の仕事を助けるために、いささか知恵のあるものを選んでいる。大きさは21世紀の電卓のようで、外観は銀色の金属で覆われて、鈍く光っている。画面はなく、音声で応答してくれるし、領収書やクーポンを印刷してくれる上、ホログラムで映像やデータを空中に映し出す事もできる。充電は無線で自動的に行われ、通信費も最近は随分安くなった。しかし、こういう事もある。

「旦那様、コマーシャルの時間なので、ちょっと聞いて下さいよ」
「わかったよ」

端末は、訥々と、近くの喫茶店の宣伝を始めた。この喫茶店は、ニューヨークに私が出張するたびに使う喫茶店だ。私は喫茶店が好きなので、喫茶店のコマーシャルだけをオンにしてある。コマーシャルを取る事で、クーポンがもらえたり、通信費が安くなったり、色々とお得な事があるのだ。

「というわけで、アンドロメダ産のホットココアが、今、流行しています」
「なるほどね。18世紀のココアを再現、というのは面白いね。行ってみようか」

端末がシャトルを呼んで、すぐに喫茶店に向かう。昔の人は、空飛ぶ車があれば渋滞はないなどと考えていたらしいが、今やロケットの発着陸で大渋滞を起こす時代だ。もっとも、それぞれの端末が計算して、最適な待ち行列を導き出して、すぐに渋滞は緩和される。

喫茶店は、ニューヨークらしい、瀟洒で明るい店だった。端末があらかじめ注文しておいてくれたので、すぐに席に座って、ウェイターがココアを持ってきた。ウェイターは顔馴染みだ。

「ああ、どうも。いつもありがとうございます」
「アンドロメダのココアだって?」
「そうです。うちのオーナーが、アンドロメダまで行って仕入れてきたのですよ」
「へえ、羨ましい。自分なんて、昔ビザが取れなくて行けなくてね」

私がココアを楽しんでいる間、端末は、ベストな電圧を選んで、うたた寝をしながら充電している。ほんの僅かな電圧の違いで、気持ち良さが違うのだそうだ。それにしても私の端末はよく寝ている。こんなに眠る機械もないだろう。もっとも、人間と同じで、眠っている間に頭を整理しているのだろうか。私もつられて眠くなってきた。私も何でこんなに一年中、眠いのだろうか。

10分ほど、うたた寝をして、ふと目覚めると、オーナーがニコニコと笑って私の前に立っていた。

「ああ、すみません」
「お客さん、これから、忙しいですか」
「いや?慰霊祭の打ち合わせは終わったから、あとは、端末と相談しながら、通信すれば良いし、あとは宇宙風土学者として、データ集めを適当にするぐらいで」
「一緒にアンドロメダ行きませんか?」

口ひげを豊かにたくわえた、優しいオーナーが言うには、アンドロメダのチケットが一枚余っていて、最近はチケットもダブついているから、転売しても二束三文にしからならない、それなら一緒に行かないか、という話だった。最初に買った値段を聞いてみたが、想像よりもずっとずっと安い値段だった。

「私の感覚だと、もっと高いイメージがありましたけれどもね」
「いや、もう、日進月歩ですよ。ここ数年で、一気に安くなったのです」

アンドロメダまでは、ワープ航法で行くが、これまでは大量の燃料が必要だった。ところが、ある人間の学者(どんな端末よりも単純計算の速度が勝る、天才)によって、革命的な技術が開発され、僅かなエネルギーでそれが可能になった。

「アンドロメダまで、以前は、3日かかりました」
「それでも、3日で行くのですからね。今は?」
「今は、直行便で、3時間です」

3時間。私が、東京から火星を経由して、ニューヨークへ行くよりも速い。何でも、遠ければ遠いほど速い、という、訳のわからない技術だそうだ。しかし、ただで行けるなら、と思い、随行を決めた。

直行便は、地球からではなく、月面基地から発車している。火星は、大気を発生させて開拓を行い、地球のようにしてしまったが、月は、いまだに、22世紀の宇宙基地の装いだ。ニューヨークから月までは、送迎が出ているので、ただで行ける。私とオーナーは、送迎の宇宙シャトルに乗って、月へ向かう。月まではシャトルで1分だ。やはり最新鋭のシャトルはスピードが違う。私が火星を経由した宇宙バスの、何倍速いだろうか。比較にならない。

月面基地に到着すると、ようやく端末が目を覚ました。オーナーの端末が、二人分の手続きをしてくれているので、私の端末は休んでいられた。オーナーの端末は、黄緑色のペン型の端末で、永久ボールペンとしても使える、秀才型で寡黙な端末だ。情報は、ホログラムで、控えめに空中に照射するだけだ。

アンドロメダまでの直行便は、外郭は完全な球体であった。そして真黄色に塗られており、まるで月の兎のお団子のような様相である。搭乗ゲートから乗り込むと、三時間の間くつろげるように、柔らかな椅子や仮眠用のベッドが用意されていた。ファーストクラスやビジネスクラスなら個室が用意されているが、私とオーナーが持っているチケットはエコノミーのため、ロビーで時間を潰す事になる。ロビーの一角では、ほのかに山百合のフレグランスがカートリッジから焚き込められて、映画が上映されている。

私とオーナーは、珈琲を頼んで、映画を観る事にした。映画は宇宙開拓使のドキュメントだった。-月面を開拓した時、思いがけず故郷の歌が聞こえてきた。すわ、月の宇宙人かと思ったところ、忘れられていた初期の月面基地の隊員が、子孫を残して生き残っていたのだ。凄まじい磁気嵐は、月と地球の通信を百年余、途絶えさせ、まさか月面基地は滅びていたかと思ったが、難民を月面基地に受け入れ、食糧を自給自足する事で、一大コミュニティを築いていたのだった。これを、「ムーン・ミラクル(月の奇跡)」と呼ぶ-云々。

だいぶ、フィクションが混じっているように思ったが、オーナーは感慨深げに観ている。私はオーナーを置いて、端末を連れてデッキに上った。デッキからは星空を眺める事ができる。

「旦那様、星空なんて見てどうするのですか」
「綺麗じゃないか。お前は見ないのか」
「だいぶ、宇宙酔いするもので、星空は苦手です。どうです、星空をテーマにした歌があるのですけれども、プロモーションを聴いてもらえませんか」
「また広告か。今度にするよ」

全く、うちの端末は広告が好きだ。それより、地球の外から見る星空は、とてもロマンチックだ。ちょうど太陽系が遠ざかるところで、太陽をこんな角度と距離から見るのはとても興奮する。すると、クルーがデッキに入って、誰それに声をかけ、デッキの外に出るように促している。恐らく、ワープゾーンに入るのだろう。太陽系を出るとワープをするらしいのだが、ワープ中はデッキを閉鎖するのだ。

「お客様、宇宙風土学の先生じゃないですか」
「おや、私の事を知っているのか」
「もし良かったら、ワープ中、デッキに僕と残りませんか」
「ああ、良いデータが取れるかも知れないな」

私とクルーは、椅子を出してきてデッキに座り、じっくりと外を眺めた。端末もデータは好きなので、素粒子解析から重力波、空間の位相の変化など、全面的にデータを集めてくれるらしい。太陽が完全に遠ざかり、銀河系の中腹に差し掛かると、直行便は微動する事なくそのまま自然にワープゾーンに入った。砂丘のうねりに虹色のグラデーションがかかって、ところどころ、梵字のようなものが浮かんでいる。

「虹色でとても美しいですね。ワープ中は科学的にこのようなものが見えるのですか」
「これはね、当社のデザイナーがデザインしたものですよ。ロビーや個室の窓からも同じものが見えますけれども、やはりデッキから見るのが美しいですね」

何だ、デザインされているのか。私が不満そうにしていると、クルーは、

「デザインという事で誤解される事が多いのですけれども、デザインは重要なのです。このデザインは、ワープの科学技術と密接に結びついているのです。まずワープ中に僕たちクルーや乗客の精神衛生を保つという意味合いもありますが、ワープ中の空間はこの直行便が定義できるのです。このデザインは、数学的に意味があって、ワープ中の空間をこのように数学的に美しいデザインにする事で、ワープ速度を飛躍的に高める事ができたのでした」

なるほど。端末が嬉しそうにデータを集めている。程なく、ワープ空間の出口、アンドロメダの近くだ。直行便は、スウとワープ空間から抜けた。まるで列車がトンネルから抜けるみたいに。

私はクルーと別れて、オーナーの居るロビーに行った。オーナーはずっと映画を観ていたようだ。オーナーに断って、私はあと1時間半ぐらい、ベッドで仮眠する事にした。雑魚寝のベッドではあるが、比較的上等なベッドだ。少し、宇宙疲れしたようだ。私はすぐに眠ってしまった。そして、テナガザルと手話で会話する夢を見た。

目覚めると、オーナーがニコニコして私を起こしてくる。すっかり寝入ってしまったようだ。強いざわめきの音がする。どうやら、アンドロメダに到着したらしい。こんな時でもすぐ眠れるのが私の最大の長所だ。

手続きを済ませてゲートを出る。

「仕入れを済ませてきますから、ごゆっくり見物されては如何ですか」
「そうですね。ついていっても迷惑でしょうし」
「今、こちらもお昼前ですから、仕入れ先で出前が出るのでそれを食べます、そちらは何か、お好きなものをお食べになって。外食はね、何でもとびきり美味いですから。夕方16時半、連邦政府の時計台の前で待ち合わせましょう」
「わかりました」

私は、オーナーと別れて、空港の大通りに出る。天井がとても高い。ほとんど白で、色味を抑えたデザインでとてもシンプル、建材と建材の継ぎ目がないような感じだ。

「旦那様、とりあえず、食事に行きましょう」
「どこが良いかな」
「アンドロメダはね、ラーメンが名物なのですよ」
「そうか」

空港の大通りにラーメン屋が並んでいる。私は一番大きな店に入った。入るなり、ほのかに檸檬の爽やかな香りがして、気分がリラックスする。店員はおらず、テーブルにつくと、すぐにラーメンが出てきた。誰が配膳するともなく、自然に、すぐに。まるで蝶が花にとまるみたいに。

「おい、頼んでもないのに出てきたよ」
「これが美味いのですよ」

麺、チャーシュー、キャベツ、モヤシ、キノコの乗った簡単な拉麺だったが、これが、気を失いそうになるほど美味い。どうした事だ。こんな美味い拉麺はあるのか。私の嗜好を熟知している味である。

「おい、何て美味さだ」
「そうでしょう」
「ギョーザも食べたいな」
「わかりました」

すぐにギョーザ、そして頼んでもいない小ライスが出てきた。このギョーザ、柔らかな皮をパリッと焼いてあり、中の餡も肉汁が迸るように、満ち満ちてくる。何て事だ。こんな時、22世紀のYouTuberなら、何て冗談を言ったかな。

「美味かったな」
「全部、クーポンで払いましたので、ただですよ」
「そうか」

私は、広い公園に向かった。歩きやすい道だ。固すぎず、柔らかすぎない、足に負担のない道。これなら10キロでも歩ける。地平線まで続く芝生、脇に大きく広がる広葉樹林。静かな起伏のある大地、清廉な空気、スポットを縫うように流れる小川、睥睨するように歩く大きな孔雀、その他様々な飛び交う鳥たち。何て安らぐのだろう。

ベンチに腰掛けて、抜けるように青い空を眺める。まるで地球よりも地球らしい。端末の情緒にも、この光景は何らかのインスピレーションを与えたようで、話しかけてきた。

「ねえ、旦那様、ちょっとアンドロメダの端末は凄いですね」
「どこが?」
「さっきのラーメン屋でも、旦那様の味の好みを、完全に把握していたのですよ」
「本当に、そんな感じだったな。データなんて持っているのか」
「推測能力に長けているようです。太陽系では、未だに量子コンピュータですけれども、アンドロメダではN量子コンピュータなのです」
「N量子?量子に時間を掛け合わせるという奴だな」
「そうです。過去100億年間、100億個の並列する宇宙で量子コンピュータを動かしたと仮定して、実際にそれだけの演算をするという仕組みです」
「たまらないな。この、私たちの宇宙一個分なら、シミュレートできてしまうな」
「そうなのです。旦那様がいらっしゃるこの宇宙、並行する宇宙の中の一つですからね。それ以外の100億個の宇宙の力を利用して、演算しているのですね」
「ふうん」

そんな話をしていると、のどかな音楽が聴こえてきた。ピエロの格好をした楽団が、楽器を鳴らしながら、練り歩いている。公園に居る人々は、次第しだいに惹きつけられ、その行進に加わるという塩梅式だ。私も、ピエロからお菓子を貰い、ふざけながら一緒に歌った。

その行進は一つの大きなうねりとなり、気が付くと、数万人の大行進となった。私も、フライパンを借りてしゃもじで叩いて、おどけながらチョコレートを食べ、でたらめに歌った。端末も懐かしいテクノを歌って、はしゃいでみせる。

大行進は、連邦政府の前の大広場に辿り着いた。待ち合わせの時計台があるところだ。オーナーの姿はまだない。約束の時間まではまだ大分ある。即席の壇上にオペラ歌手然とした女性が立ち、歌い始めた。エスペランド語で歌っているようだが、どうやら、「タイムマシン法」の成立を嘆く内容のようだ。

-我々は空間を縮める事に成功した
まるで嵐のように 次の場所に行ける
だけれども 時を遡ったり、先取りしたりする事は
いくら何でも 神の意志に背くのではないか-

このフレーズを何度も、美声で繰り返し、群衆がそれにつれて歌った。私も、知らずしらずのうちに強く惹きつけられて、この覚えやすいメロディと歌詞を自分のものとして、歌った。大行進のうねりは、もっともっと大きなものになった。

「旦那様、ちょっと。もうやめましょうよ」
「我々は風のように 流れてゆきたい~」
「いけない、完全に、取り込まれている…」

端末の心配をよそに、私は知らない誰かと肩を組んで、リバイバルで流行したインターナショナルを歌ったり、22世紀に流行した反政府のラップをまくしたてるラッパーに、脇でパコパコと音を鳴らして囃し立てたりした。

「旦那様!どうなったって知りませんよ」

群衆の熱気が、最高潮に達しようとしていた。決して暴力ではなく、歌と芸術と楽しさで抗議する、大広場の群衆たち。オッ、オッ、オッ!オッ、オッ、オッ!嘆息と歓声混じりの叫び声。と、その時、連邦政府のホログラム掲示板に、一つの速報が映し出された。

-タイムマシン法 可決

「旦那様!いけない!すぐにここを離れるんです。タイムマシンが動き出す!」

端末の警告は私の耳に入らず、怒気を含んだ群衆の熱は、大声で抗議の歌を歌わせて、連邦政府に雪崩れ込ませようとしていた。私は正気ではなかった。端末の激しい警告音。私の端末だけではない、多くの人々の端末が、それぞれに最適化されたメロディで、その主人たちに警告音を鳴らしている。こんなのは初めてだ。自然災害さえもコントロールするようになったこの宇宙で、これだけ沢山、警告音が鳴る事はない。

連邦政府の大きな扉は閉ざされ、数万人の群衆が体当たりしても、びくともしない。それでも、何度でもぶつかり、大きな扉はミシミシと音を立てる。物理的に完璧な耐久性の、この大きな扉が、人間たちの力によって、少しずつ、軋み始めた。それでも連邦政府は、静かだった。民主主義もまた、完成されているのだった。

場違いで、古めかしいピープ音が鳴る。タイムマシンが動き始めたようだ。これは、タイムマシンの暴走、いや、連邦政府による実験なのか。まるで古いSF映画のような、ライブラリにあるようなピープ音が鳴り続ける。端末の警告音が一斉に止んだ。宇宙の音が全部止んだみたいだった。そう、宇宙全体のデータを、少しだけ、後ろに戻すのだ。例えるなら、開店前のレストランに間違って入ってしまい、シェフの驚いた顔を見たような気分だった。見てはいけないもの(それも、ほんの些細な)を見る気分。私は、半日前、いやどれだけか判明しないが、少し前の宇宙に戻された。戻される気分は悪くない。それはごく自然な現象のように感じた。

「旦那様。大丈夫みたいですね。また、火星に戻っちゃったみたいです」
「そのようだな。どうかしていた。しかし、これで、タイムマシン法が成立する前の宇宙に戻った訳だ。連邦政府の連中、これで法案を通す事はできないかも知れないな。奴ら、タイムマシンは人間が制御できない事がわかっただろうから」

赤茶けた、煤けた、火星の大地。アンドロメダほど発展していないが、少し不便で、いや、十二分に、便利な世界だ。アンドロメダでの顛末を書くため、私は、純喫茶レッドのある方へ、ゆっくりと、構成を呑気に考えながら、歩いていった。


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