資本投下と幸福量

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資本を投下して
幸福を得るのが目的である主体は、
必ず限界効用に突き当たる。
 
つまりどれだけお金をかけても
幸福の上限が決まってしまうという
寸法である。
 
「不幸を楽しむ」などとも
言われるが、
楽しめるような不幸は本当の
不幸ではない。
 
不幸とは何だろうか。
フラれた?誰か死んだ?
お金を失った?
 
問題発生と共に不幸は発生する。
多くの問題は、解決によってでなく、
妥協によって風化させていくものだ。
 
どれだけお金をかけても
幸福であり続ける事が出来ないとするなれば、
我々は不幸をどう誤魔化していくか、
不幸を如何に見て見ぬ振りをするか、
それに長けていく事が
世間智と呼ばれるものではないだろうか。
 
ぬわんつって!!!!


この記事について


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