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凶悪犯罪に関して、「死ぬのであれば一人で死んで欲しい」だとか、
「人間として不良品」という発言が物議を醸しているようだ。
物議…というのは、現代において、インターネットでバズを
起こし、それがネットニュースになる事を指すようだが…。
 
自分の問題として考える…だとか、
みんなちがって、みんないい、だとか…。
行動する者は良心がない、だとか…。
 
行動というより、言説そのものの、良し悪しだけで
吟味するという傾向が昨今、あるように思う。
 
ワイドショーも、このページも含め、インターネットも、
書籍、テレビというものも…
つまりは言説だけが膨張しているように思う。
 
凶悪犯罪というものがあって、心情でもって、問題に
寄り添う言説を言う、書く事は容易い事であるが、

 
現実の、行動する僕たちは、実際、他人の問題というものに
関してはかなり、無関心である筈であって、そうでなければ
自分の事をやりおおせる事など出来ないのである。
 
例えば、あまり仲の良くない、かつての同級生が、
家の近くに住んでいて、引きこもっているらしい、
彼に、彼女に、手を差し伸べてみよう?と行動できる人が
いるだろうか?
 
かつての事件だが、小保方さんに同情するからといって、
彼女に資金を投じ、STAP細胞の研究室をあつらえて
あげる投資があるだろうか?
 
凶悪犯罪に、愛する人が巻き込まれたとしても、
なお、誰にでも抱えている闇が…と思える
だろうか。やはり、どうせ死ぬのならば…
と思ってしまわないだろうか?
 
言説と行動は、かように捻じれていく訳であるのだが、
「ねじれの解消」というのは非常に困難を極めるし、
間違いなく不可能だろう。
 
社会全体として用意すべき言説として考えれば、
爆笑問題の太田氏のような意見になるし、
自分が巻き込まれた事件として、そのままの考えを
言えば、前出の「問題発言」のようになると思う。
 
ワイドショーでは、絶対的に、「社会全体として用意すべき
言説」しか述べてはいけないのだろうか?
僕らだって、言説と行動で常に、ねじれている。
その、僕たちの「ねじれ」を振り返らないままに、
やれ問題発言だ、炎上だ、と騒ぐ…
 
これは、やはり、どうなのかな?と
思ってしまうのである。
それこそ…
社会の修復作用、社会が混沌から均衡に、均衡から混沌に、
自然と動いていく力に期待する他なく、
社会不安というものは、それ自体が膨張し、増幅していくもの
であるからして、一定の楽観視は持っておきたいとは思う。
 
影響力の強い人たちが、現代社会は狂っている、腐っている、
と、あまり言い立ててしまうと、自己実現的にそのような
社会…少なくとも「社会観」が醸造されてしまう、
社会観は社会となってしまう…という構造はあると思う。
 
それでも、悲観と楽観のバランスを取りましょう、なんて、
簡単な話でもないのであるが。
結局、家族だけは、仲間だけは守ろう、という神話だけが
残るような気もしてくる。


この記事について


このページは、2019年6月4日に最初に書かれました。
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