職業の貴賤を語る

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「芸人なんて河原乞食の出じゃないか 偉そうに政治にモノ言うな」

なんて趣旨の発言を、数か月前ぐらいに、ある作家さんが
されまして、大変残念に思いました。

それでも歴史について語っている作家さんですから、
そういう方にして尚、そうなのか、と。


芸能民が被差別民だった経緯はありますが、
いわゆる民間で物語を物語っていた人たちも
芸能民と言えなくもない、という疑問。

今の職業と関係ないのは当然ながら、
どこからどこまでが芸能民・河原者だなんて、
簡単にわかる事ではないよと思います。

そして、「全ての芸能民は被差別民だった」
と断言できるほどの、資料はあるのでしょうか。
(悪魔の証明ではなくて、ほぼ全てをそう見做して差し支えないといった論拠)
これは結構、複雑な話じゃないかと思うんです。


網野善彦の議論で言うと、
「水呑み百姓は貧しかった訳ではない」という議論があって、
この方は基本的に、農本主義が強調された戦前の研究の
反省からやってこられた方です、

日本の芸能だって、今も続いているものがあるのですから、
作家だって同様ですね、今も続いています、
差別されながら貧しく芸を披露していた時代があった、
という見方は、一種の階級闘争史観ではないかとも
思うのです。


遊女なんて事についても難しくて、
網野善彦の話で言うと、かつては宮家に出入りする遊女が
次第に朝廷の管轄を離れ、公界から苦界と呼ばれる世界に
入っていくなんて話もあります、

一概に言えない事なんですね。
何もかもが。
だから、職業差別というのは、倫理的にも宜しくない事ですが、
歴史的発言としても、大変に迂闊な事になってしまいますよ、

とだけ、述べておく事にします。
もし、迂闊を売りにされているのでしたら、大変、余計なお世話で、
失礼致しました。


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