のろまな奴等

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エピローグ

卒業する世代

横川君の第二ボタンを貰った。桜の中で、彼はとても切なそうに見えた。ボタンを貰った後、学ラン、Yシャツ、ズボン、靴…女子たちは際限なく奪っていく。横川君は、形見分けのようなものだ、と平然としていた。
 すっかり裸になった横川君。あたしは、第二ボタンを返すから、パンツを貰えないか?とお願いした。横川君は、それは、君の部屋で。と云った。横川君はあたしのものになった。横川君にあたしのコートをかけてやった。
 横川君とあたしとの距離は、突然縮んだ。
それなりの躊躇いもあった。ママは何も云わないけど、きっとわかっているだろう。
横川君は、背中に、大きなアザがあった。それなあに。ねえ。それなあに。横川君は、犬に噛まれたんだよ、と云った。どう見てもそんな傷には見えない、焼け火箸でメチャメチャにスクラッチしたような傷だった。
 横川君とあたしの逢瀬は続いた。横川君はあたしの家で会いたがった。でもそれはどっちでもいい、会える事が嬉しかった。卒業して、やっとあたしたちは解放された、お互い素直になれた。それは、三月十五日から三月二十六日までの事だった。
そう、二十六日。横川君は、サヨナラのやり方が、こんな感じかな…と云って、このコインを君に渡すから。これを君に託すから。とあたしの手に握らせて、じゃあね、と言い残し、そのまま、勝手口から出て行った。あたしが追いかけると、横川君は居なかった。
 勝手口から先は、行き止まりだし、あまりに急に姿がなくなった。あたしは不安になって泣いた。あたしと横川君、十八の春。こんな事ってあるのかな。よくわからないよ。
 あたしはずっと泣いていた。何かが生まれるのを待つかのように。あたしは去年の夏ぐらいからの事を思い出していた。あれぐらいからの事がヒントになる筈なんだ。
 甦る記憶は、ふと、この街の記憶を呼び戻し、去年の夏からの情景を浮かび上がらせた。

  

夏の章

百貨店のバルーン

 八月の暑い盛りだ。荻元と鈴木は、一緒に駅前を歩いていた。ふと駅前のビルを見ると、派手な色合いのアドバルーンがある。鈴木は、凄い色ね、と云った。荻元は、これは、あたしの叔父さんがデザインしたのよ、と云った。               
鈴木は、荻元の話によく出てくる「叔父さん」とは誰だろう、と思っていた。荻元のお父さんの話を、あまり聞かないのである。
 ねえ、荻元さん。叔父さんってどんな人なの。荻元は微笑んで、そうね、普段は、風船を針で割っているの。ぱん、ぱん、ぱんって。鈴木は、荻元がアドバルーンの道もバルーンから、というフレーズを好んで使っている事を思い出した。
 キラキラした色のアドバルーンは、真夏の空によく映えて、綺麗だった。アドバルーンだけは汗をかかない。アドバルーンは正直に生きているから、疲れたり汗かいたりしない。

街の美術まつり

 市民会館で、街の美術まつりがやっていると云う。鈴木と荻元は、夏休みを利用して見に行く事にした。
 会館は閉館日だった。鈴木は、ねえ、荻元さん、ここ裏口から入れるのよ。こっそり入ってみましょう。荻元は、それは面白い、と同行して裏口から侵入した。 守衛が居ない事を知っているので、静かにドアを開けた。
一部の照明は灯っているがカーテンは閉められ、市井の人の制作した美術品たちが、闇に浮かんでいる。鈴木も荻元も、息を呑んだ。退屈だと思っていた市井の美術は、かように不法に覗き見る事で、怪しげな魅力を倍増させていたからだ。神秘的で、怪奇的。
ふと、小さな地震があった。十秒ほど揺れた。鈴木と荻元は怖くなって、足早に裏口から退出した。自分たちは呪われたのだと思った。これから起きる不幸は、このせいだ、と。

夏の海岸

 鈴木と荻元は、二人で海岸へ行った。海岸まではバスに乗り、下車すると海岸には誰も居なかった。開放感はなく淡々とした夏。
 波の音を聞いた。水平線を眺めた。今日は比較的涼しい。しかし鈴木も荻元も、何も感ずる事がなかった。空は、空虚に輝く。
 二人は帰った。それと入れ違いで、横川が海岸に来た。たったひとりである。横川は、波打ち際のギリギリまで行き、遠くを見ていた。沖の方から何か流れてきて、だんだん寄せてきた。それをずっと見ていた。
 しかし、「それ」は、途中で見えなくなった。海はだんだん静かになっていった。そのうち、海水浴の客がどっと押し寄せてきた。小さな海岸は急に賑やかになった。海の家の夫婦は息を吹き返して、小さな商いを始めた。横川は、急に悲しくなって、海岸をあとにした。この喧騒に自分の居る場所はないのだ。

荻元と寺岡

寺岡と荻元は同室に居た。寺岡は醜い小男で高校四年生、そして荻元の奴隷であった。夏休みも終わりの頃か、定かではないが、寺岡と荻元は無言で感傷的な情事をした後、二人で、そのまま、だんまりを決め込んでいた。
ねえ寺岡、鈴木さんの事を調べてほしいの。あたし、彼女に興味持っちゃった。それでね寺岡、来年も留年できるわよね。してよね。荻元は、人形にそうするように一方的に寺岡に話しかけた。そして寺岡は、同意の意思を強い首振りで示した。ぎしぎし音がする。
まだまだ夏の気配が残っている、荻元は、寺岡に風船を膨らませさせた。真っ赤な顔をしてふうふう、ふうふう、時間がかかり、そして寺岡は風船をうやうやしく荻元に渡した。
荻元は、それを手に取ると、胸ポケットから取り出したマチ針で、それをぱあんと割った。寺岡は酷く驚いて、まるで泣きそうだった。荻元は、嬉しそうな表情で満足した。
荻元の叔父は、階下の部屋に居た。風船が割れる音は聞こえたかどうか。荻元の叔父は、書類を眺めていた。そして溜息をついた。
 荻元の叔父は、手慣れた様子でポケットから風船を取り出し、あっという間にぷーっと膨らませ、そして口から爪楊枝を噴き出してぱん、と割った。
 割れた風船からは、小さな白黒写真がひらひらと舞っていった。それを荻元の叔父が拾い上げる。昔、風船に仕込んだもので記憶がない。写真は、砂漠が広がり、天を衝く塔のようなものが写っていた。荻元の叔父はそれを無表情で見つめていた。少しだけ笑った。
 再び荻元の部屋で。寺岡は、ご主人様、来年は留年はしたくないのですが、お許し下さい、と乞うた。荻元は、そうね、それなら、あたしと同じ大学行こうか。学費なら出してあげるよ。奨学金も。寺岡は、勿体のうございます。と体を震わせて涙した。

横川、勉強する

 横川少年が、街を歩いている。バス通りをずっと歩き、コンビニへたどり着いた。横川は、そこで、ガムを買った。コンビニを出るとガムを噛みながら、高校の方角へ向かう。
 高校では夏休みに自習室を開放している。横川は、手ぶらで自習室に入った。先生が居た。おお、横川か。自習に来たのか、何も持っていないのか、問題集とか貸してやるから勉強していけよ。横川は勉強道具を借り、勉強していった。先生は嬉しそうだ。
 そのうち、何名かの生徒が入ったり、出たりしていったが、横川はずっと勉強していた。恐るべき集中力だった。夕方、横川は退出してまたコンビニへ行った。
 横川は、コンビニで無料求人誌を手に取り、そのまま家路に向かった。途中、寺岡とすれ違った。寺岡君元気?寺岡は、赤面して、生きていて済みません、とかすれ声で会釈した。

鈴木の母

夏休みである。鈴木の母は、娘の事を少しだけ考えていた。鈴木の母は、娘は奇妙な人物であると認識していた。いつ部屋を覗いてみても、やけに古めかしい戦前だかのバッタ本を買い込んで読み耽り、普通の参考書や教科書など読まない風だ。しかし鈴木は勉強ができた。鈴木と横川が学年の一位、二位であった。平均よりも程々に下の偏差値の高校であるから、実際は大した事はないのはわかる、それに模試なども受ける様子もない。
しかし鈴木の母には、娘の事よりももっと心配な事があって、ラジオや雑誌の読者投稿欄に自分のネタが採用されるか、という事だった。娘の事を心配するのは、自分のネタの事ばかりで心配するのが恥ずかしいからであった。いわば投稿からの逃避が、娘の進路だ。
 夫も家に居つかない上、そろそろ単身赴任が始まる。他に想い人が居るらしく、その事を考えながら、投稿の事を考えたりする。ブラウン管の裏は、数十年来の埃で一杯だ。
 鈴木はその頃、部屋に居た。部屋で、何も考えず読書に没頭していた。ふと、横川や荻元の事を考える。寺岡の事を考える。それから、その四人で何処か遠いところへ行く事を夢想する。テンションは伸びて、雲を衝く。
 鈴木は、部屋の中で飛び跳ねた。ぴょん、ぴょん、兎のように飛んで、それから鼠の鳴き真似をする。ちゅう、ちゅうちゅう。
 ひとしきり暴れた後、母が何かに夢中になっているのを見計らって、そっと外に出た。河川敷の方へ行こうと思った。河川敷の石段のところに、時々、横川がいるのを見るからだ。それを遠くから見ようと思った。
 寺岡は、その鈴木の様子を、くたびれた無宿児の装いで観察していた。鈴木が河の方へ行くのを認めると、バカの振りをして卑屈に笑い、そしてふらふらと、汚い方へ歩いていった。寺岡は、汗と下品さで湿深く見えた。

盆踊り

 この街では小さなお祭りがある。白眉は何と云っても盆踊りである。鈴木と荻元は、浴衣を着て盆踊りの広場へ向かった。
 途中で、寺岡に合流した。寺岡は、卑屈に体を屈ませて、緊張した表情をしていた。自分は盆踊りなどした事がありませんので…ご迷惑がかからなければ…などと云った。横川は、学校の他のグループと来ていた。にぎやかなグループの中、横川はクールにすましていた。横川への慕情は暗号化され圧縮される。
 ぽつぽつと、花火があがる。鈴木と荻元は盆踊りを始めた。寺岡は、機械人形を思わせる動きで、鈴木と荻元を真似た。それは非常に滑稽で、荻元は声を出さずに笑った。
 鈴木は、遠目で横川の事を追いかけていた。鈴木の横川への気持ちは、抑制され、抑圧されていた。
 横川は、仲間たちと、楽しそうだった。

だんご虫

 夏には様々な虫が活発に活動する。高校の庭の、花壇の煉瓦の下に居るようなだんご虫もそうだった。そのうちの一匹、だんご虫、これを某としよう。某は、日陰におれば良いものを、何故かしら土の外、石の上へと這い出てきた。心優しき用務員でもおれば、土に返されたものを、ずんずん、ずんずん進んで、校舎の渡り廊下まで来てしまった。
 戻るに戻れず、ここから近い土と云えば、グラウンドの固い土だ。真夏の日差しが、某の水分をどんどん奪っていく。
 そこへ横川が来た。横川は某に気付かず、そのまま歩いていった。横川の靴裏は、何とか某を避けた。某は、気を良くしたようだ。
 その一部始終を見ていたのは二宮金次郎像であった。銅像の、薪の部分、そこには蜘蛛の巣があって、捕まった蜻蛉が暴れている。もう少し頑張れば、逃げ出せるだろうか。

寺岡の実態

 寺岡の家は豪邸だ。だが学校では醜く貧しい小男として通っている。登校前、寺岡は入念にメイクをする。動物の油脂を使っているので、汚れと臭みを双方まとう事になる。
 数人のメイド、ボーイに見送られ、ぼろ着を身に付けて地下への階段を下りる。地下室から、街の地下通路へ接続しており、そこに住む無宿人のバラックを経由する。こうすれば、バラックから登校している風を装えるというわけだ。バラックには、寺岡の「父役」の男が居る。中年の中堅俳優を雇っている。設定に従って会話をし、そのままバラックから寺岡は登校する。俳優は、破格の給料で辛い仕事をしている。もう辞めたいのである。
 おぞましい寺岡の姿は、こうやって作られる。その事を知る者は誰も居ない。奴隷と主人の関係である荻元すらそれを知らない。この一連の詐術が寺岡の生きがいであった。

初老の駅員

 駅前に小さなデパートもあるこの街の、初老の駅員は、デパートの屋上で売っているカステラが好物だった。休憩時間になると、制服のまま屋上へ行き「おやつカステラ」を食べる。甘露、甘露である。甘味は旨味だ。
 最近、このデパートに設置されたアドバルーン。ぼんやりとそれを眺め、夏の空を見上げて開放的な気分になる。
 鈴木の母が、カステラを買いにきた。初老の駅員はこの街の大抵の人間は顔馴染みだが、決して外で声をかける事はない。鈴木の母に限らずおおむね見知った顔である。
 夏の空が、更に一段階明るさを増して、光で溢れた。初老の駅員は、汗をかきながらおやつカステラを食べ、階段で一階まで戻る。
 途中の踊り場で、荻元の叔父が、椅子に座ってしきりに手帳に書き込んだり、考えるような体を取ってみせていた。

A記者の記事

 地方紙A記者の記事より。
 我が市の名誉市長、山田氏の事は皆さまご存じだろう。齢九十九歳、引退後のご活躍は近隣市町村に鳴り響いている。
 しかし、山田氏、去年脳梗塞になり、入院され、片麻痺の状態となった。幸い、頭はシッカリされており、自身で新しい神経リハビリテーションを開発された。それが「マルチメディア回春療法(マルチ回春療法)」である。
回春療法とは、認知症を患った方に行う言語聴覚療法で、その方の若い頃の話など「懐かしい話」を会話して脳の働きを促すというもの。山田氏はこれに注目された。
マルチ回春療法では、療法室の壁の四面に回春映像を映し出し、更には匂い、振動なども駆使して、アミューズメントパークもさながらの空間を作り出し、脳を刺激する。
 山田氏は、回春療法に光明を見出し、自身が所有していた古い写真、映像、文章、果ては珈琲の香りに至るまでを集め、再構成・編集し、ひとつのパーソナルメディアコンテンツを東京の業者に依頼して作らせた。
 その部屋に、毎日三時間ずつひきこもり、昔の事を思い出すように特訓されたそうである。運動療法も並行して行う。その甲斐あってか、言語聴覚能力の回復ばかりでなく、片麻痺の改善も顕著に見られたという。
 山田氏は、「マルチ回春療法は、特に会話能力の回復に大きな効果をもたらす。この療法を一般向けに安く提供できるように、パッケージ化し、市内を手始めに展開していきたい」と語る。
 来年は百歳になる山田氏、自身の病気を乗り越えて、まだまだ精力的に活動されている。名誉市長の名に相応しい偉人である。我々、下の世代も、山田市長を見習って、前向きに生きてゆきたいものである。

夏の終わりの炊き出し

 無宿人と云えば春の季語だと云うが、夏の彼らは何処でも眠れるというわけで、やはり目につくところに沸き出でる。
 さてそんな無宿人を放置すまいという事で、
この街では定期的に炊き出しを行っていた。横川と荻元は、寺岡ら無宿人の連中の住むバラックへ訪問し、炊き出しに誘った。以前から声掛けしており、彼らのほぼ全員が炊き出しの施しを受けた。横川と荻元は炊き出しを手伝い、鈴木は生活相談を手伝った。
 ボランティアそれは内申点にプラスに働くが、この街にはもっと楽なボランティアがある。内申獲得の効率性から云えば不経済だ。
 荻元は、大学進学を考えており、内申点欲しさから参加した、と嘯いていたが、ご存じのように、寺岡に対する愛情故である。鈴木と横川を誘ったのも、荻元だった。炊き出しは雑炊、フランクフルト、焼きそばとなかなか豪華なもの。寺岡も、その家族も、仲間も、嬉しそうにごちそうを頬張った。
 和やかな光景の中、いささか、怪訝そうな表情を浮かべている女性が居る。これを主宰するNPOの事務長の彼女である。事務長は、定期的に無宿人に炊き出しを行い、生活相談をしている中で、少し違和感を感じていた。
 何か作為的な…フィクションめいたもの。特に生活相談の彼らの言葉から感じる、設定的感覚。できすぎの状況。決定的な病気をしているわけでもない。何かの力によって庇護されているのではないか。…それこそ杞憂だ、と事務長は打ち消し、再び振る舞いをする。 
 寺岡は、目を輝かせて、空腹を満たすために炊き出しにかぶりついた。寺岡少年は、真実、餓えていたのである。
 炊き出しを受けるものたちは、やはり飢えていて、大騒ぎして食べるもの、とにかくただ詰め込むものなど様々だった。…荻元の目にも、いささか、嘘寒く見えたのだった。

夕陽送りの日

 大きな夕陽が、ビルの谷間に沈んでいく。鈴木も、荻元も、横川も、そして寺岡も、それぞれ違うところでそれを見ていた。
 彼らだけでなく、この街の大半の人間が、めいめいの場所で、沈む夕陽を見ている。ある者は山中から、ある者は街中から、またはベッドの中から、ジムの窓から、あるいは。これが、この街の人間が、夏を送り出す儀式なのである。ただ誰が始めたというわけでもなく、示し合わせたというわけでなく、知らない間に暗黙の了解になっている。
 そして、この街の夏は終わった。明日からは、たとえ夏日でも、もう、夏ではない。この街の夏は葬り去られ、秋が誕生する。
さて、気紛れな英国人研究者、某が、この時に居合わせた。思わず知る事になった信仰めいたものに感嘆し、何かを書きとめ、老舗のビジネスホテルに宿泊したという事である。

秋の章

初秋のプールにて

 彼女は、初秋のプールに、ひとり、佇んでいた。プールには、まだ水が張っており、気の早い落ち葉がゆらゆらと水面に揺れている。
 鈴木は、目を大きく開いて、そのまま、薄く濁ったプールに沈み込んだ。
 まるで音もなく、そのようになった。ぶくぶくと泡が立ち込め、沈んだ彼女は、そのまま、五分間ほど潜っていた。そして、浮かび上がると、そのまま身を翻して、プールサイドに飛び移り、動物のように身を震わせて水気を切った。
 それを、空の焼却炉から見ていた男が居た。寺岡だ。高校四年生は、小さな体を上手に焼却炉の中に収めていた。寺岡は、鈴木をしっかりと最後まで見届け、そしてしばらく何か中でしていたが、やはりぶるぶると身を震わせて、焼却炉の中からこっそりと抜け出した。
 プールは、相も変わらず、落ち葉をたたえながら静かにしずかに揺れていた。鈴木も寺岡ももう居ない。廃品回収の車が音声をまき散らして、プール脇の道路を通る。それを運転していたのは、横川の父であり、助手席に座っていたのは横川だった。横川はしっかりと、鈴木と寺岡を見ていた。そして荷台には、沢山のポリバケツが積まれていたのである。
 ポリバケツは、五色でそれぞれに廃品の類が仕分けされている。黒のポリにはぬらぬらとした粘土状のものが山盛りに入っていた。
 そして再び、鈴木の姿がある。鈴木は、工場の廃熱ダクトでその体をすっかり乾かし、工場街をまるで怪異のように飛び回っていた。その姿たるやまるで鬼女のようで、気付いた工員たちは、狼狽して目の前で十字を切ったり、念仏を唱えたりした。鈴木は挑発する如く、下水路を野鼠のように走る。水飛沫の音。
 横川たちの車は、とっくに団地エリアに移動しており、幸運にも鈴木の醜態を目にする事はなかった。金切声、そして悲鳴…。

プールサイドの道路で

横川の父と、横川。父子家庭であって、そして父子は仲が良かった。ほとんど言葉を交わす事もないが、傍目にも強い絆を感じる。
横川の父は、廃品回収の仕事をしていた。高校の周辺には、横川が口約束をしてある住宅工場等があり、そこで廃品の類を集める。
横川は、助手席に座って、英単語の暗記例文集を眺める。時には英語の辞書を繰ってみる。横川は勉強熱心な男だった。
車が止まり、廃品を荷台に載せる時には、その勉強の手を止めて、父を手伝う。その姿を同級生に見られる事もあったが、横川は明るく、それを冗談にしてみせた。
プールサイドで人の気配がする。プールサイドの目隠し網は穴だらけだった。ふと見れば鈴木が居る、そして鈴木はすぐにプールに
沈み、飛び込んだ。一部始終を見た。
しかし横川は驚かなかった。鈴木が奇妙な女である事は知っていた。それを横川の父も見て、目を丸くし興奮の度合いを高める。おい、見ろよ、何だあの女は。頭大丈夫か。やばいね。もう十一月になろうとしているのによ。馬鹿だね。こういう女にゃ気を付け…。
何時になく横川の父は饒舌だった。横川の父は、そして横川も、奇妙な女に強い興味を持つ傾向があった。父と子の紐帯。
 横川は、そんな饒舌な父に、楽しそうに相槌を打っていた。横川の父は団地方面へ向かった。少し手前で車を止めて、リュックサックを背負う。団地手前に貧しいアパート街がある。団地に入れない連中の住む地域だ。
 アパート街は、湿り気と粘り気が強い感じがする。付近に数人の無宿人が居る。横川の父は、リュックからパンを渡した。無宿人は、耳に挟んだ煙草を呉れた。アパートから、顔色の悪い文青がドアを開けて出て行った。
 文青は、せき込みながら漢方薬局に入り、処方してもらって古書店の方角へ歩いた。

ストリート・ミュージシャン

 駅前に地下通路がある。無宿人が住むドヤ街もここにあるが、物売り、旅芸人なども商っている。そういう連中を容認する時代であり、そういう街であった。
 この地下通路はひとつの世界、ひとつの別の街を為していた。表で手に入らないものはだいたい、ここで手に入った?それは嘘、あるのは噂話ばかりで碌なものがない。
 ひとりのストリート・ミュージシャンがギターをかき鳴らしている。長髪で男か女かもわからぬ。彼、いや彼女?某音楽家としておこう。この某音楽家が、たった一つの曲を持って、東京でデビューしようとしていた。
 昔からの物売りは云った。奴か、この街じゃあ出来すぎだけれども、中央ではどうかな。まあ、また戻ってくれば良いさ。
 某音楽家は、バッグを持って、鈍行列車で上京したという話であるが、さてはて…。

秋の海

 秋の海岸には、夏の忘れ形見や漂着物が堆積している。それを秋のものとして、嬉しそうに収穫する市民が、ちらほらと居る。いっけんゴミのように思えるが、そうではないのだ。山菜きのこの類のようなものなのだろう。
 そのような連中が居るため、おいそれと一斉清掃というわけにもいかない。折り合いをつけるため、X月の最終週迄には海岸での収穫を終えるように取り決めされている。鈴木と荻元は秋の海が好きで、やはりバスで来て、夏よりも長い時間をかけて遊び、嬉しそうに帰った。彼女らは夏に来た時は、やっぱり空しかったね、と笑いあった。
 そんな笑いの時間も過ぎ、市民も帰って、ひとり、横川が居た。波打ち際で虚空を手繰り寄せる素振りを見せる。何かしら、横川に招かれて波間を縫ってやってくる。しかし、
あと少しというところで、それは沈み込んだ。

マルチ回春療法の成果は?

 少女鈴木の祖父母は、母方の祖父が存命である。そして鈴木の父は単身赴任である。祖父はひとりで賃貸に住んでいるが、最近頭の鈍さを自覚して外来病院に通院している。
 何でも頭の鈍った老人に効く療法があるらしい。何度か予約して、ようやく体験する事ができるようになった。療法室はカラオケルームを改装したものだった。鈴木翁は特に体の不自由なところもなく、ひとりで手続きを済ませてルームに入る。スイッチを入れる。
 四面に映し出されたのは、戦前の映像だった。記録映画だ。百貨店にエレベーターが導入されその顛末、笑い話。大食いの人の話。いわゆるニュース映画という奴か。 次に隣組の歌が流れて、戦争中の銃後の様子が和気あいあいと。スモークが流れ麦飯の炊いた香りが流れる。のらくろの漫画。そして銃声。突然戦後に飛ぶ。いわゆる天然色になったばかりのラジオ体操の映像。ラジオ体操を一緒にやってみましょう、という差し込みのアナウンス。一緒にやってみる鈴木翁。
 体験コースという事で、一時間の治療だった。たったひとりでのルーム体験。鈴木翁は、正直、懐かしい事には懐かしいが、どうもピンと来なかった。
 ルームを出ると、車椅子を押されて、ルームに入ろうとしている老人が居る。よく見れば同級生のXだった。鈴木翁は、おおXか、お前も来たのか。と声をかけた。Xは、鈴木翁の声に反応したが、そのまましんどそうに、ふさぎこんでしまった。
車椅子を押しているジャージの大男は不愛想で、お知り合いですか・ドウモ、などと云ったきり、手荒に車椅子を押し込み、ルームに入る。
 鈴木翁はXの事を思い出した。しかしそれ程親しかったわけではない。鈴木翁は治療をやめる事にした。娘孫娘と一緒に暮らすか。

寺岡の実家

ただいま。寺岡は家に帰った。玄関には虎の毛皮が敷いてあり、まず婆やに学校の荷物を預ける。それからシャワーを浴びて、体の泥を落とす。メイクも落とす。
寺岡は醜い男ではなかった。綺麗になった寺岡は、品のある、上品な顔立ちだった。
寺岡は、ビリヤード台の前に立って、徒然にひとりゲームをした後、ボーイに淹れさせた珈琲を飲んだ。そして葉巻を咥えながら、
大理石の前に腰かけ、葉巻を楽しみながらノミを打ち立てる。気紛れな抽象彫刻。
そうこうしているうちに、ヘリが迎えにきたので、そのまま乗り込んで、レストランに向かうのであった。
これが、寺岡の真の姿であった。寺岡は、上空から自分の高校を眺めた。そして、実に楽しい生活だね、とひとりごちた。そのままヘリは何処かに消えていった。

メジャーなクラスメイト

 鈴木、横川、荻元、寺岡、彼ら彼女らは、四人組というわけでもないのだが、一種の「同種の属」を形成しており、外部からはひとグループと見做されていた。
 しかし、このグループは、高校の中で最もメジャーなグループではなかった。個性的ではあるが帰宅部であり、主流にはなれぬ。この学校の主流派とは、卓球部であった。身体的に優れたる男女は、卓球を志す。中学までサッカーで活躍した肉体派すら、ピンポンに恋い焦がれてラケットを握る。
 そういう時代だったのだ。かくして、長髪のイケてるイケメンが、卓球台のサイドで女をくどくのが、一番クールだった。
 四人組の中で、最もそれを苦々しく思っていたのは、荻元だった。彼女は、こんな時代は狂っている、とはっきり思った。卓球部の部長は山田…そう、名誉市長・山田の孫にあたる。しかしこれが愚鈍な男であり、祖父の威を借りた俗物であった。
名誉市長も孫が可愛くて可愛くて仕方がない、身内に甘いタイプであった。
 山田部長、帰宅部の鈴木や荻元を卓球部に勧誘する。女なら誰でも良いのだ、とにかく女がひとりでも多ければ幸福を感じる。ねえ鈴木さん、荻元さん、帰宅部じゃつまらないでしょう。僕と一緒に青春しようよ。鈴木と荻元は、静かな微笑みと沈黙と無視でそれに答えた。わざとらしく肩をすくめる山田部長。山田部長はひどく吝嗇な男であり、卓球のラケットも百円ショップのラケットを使う。しかし主将であるから腕は立つ。
百円サーブ、百円スマッシュ、百円ドライブ。これが見事に決まった。得点のたびに女たちは羨望し、男たちは嫉妬した。卓球の英雄である。
 そう…この市で、卓球の時代を作り上げたのは、名誉市長・山田氏であったのである。

沈思する横川

 横川少年は、河川敷の石段に座り、河の流れを眺めていた。向う岸には体育センターの建物があり、そこで老若男女が卓球をしているだろうな、と思った。
 河の流れは穏やかで、その流れをせき止めるものはない。じっと目を凝らせば、メダカの類が泳いでいるのが見える。晩秋であり、いささか寒気を感じる。しかし風はなく、温かな日差しがあたりを包んだ。空は青く、ぼんやりしている間にとんびが空を回っている。 橋げたの下では、市役所の職員が無宿人の住居跡を撤去している。
もう橋の下には住めないのだろう。しかしあらかた片付けて引っ越した後とみえる、住居の枠組み以外のものは残っていなかったようだ。
 横川は、深く静かな溜息をついた。とんびの一群が、大きく回遊して横川を睥睨した。

やはり沈思する荻元の叔父

 荻元の叔父は、デパートの階段の踊り場の椅子に座っていた。大振りの手帳を膝の上に、考え込んでいる。時折、人が通り過ぎるが、あまり気に留められる事もない。
 ふと、荻元の叔父はアイディアを閃いた。それは他愛ない考えだったが、閃きの擬音的アクション、ファンファーレの類を発作的に欲した。故に荻元の叔父は、胸ポケットから風船を取り出し、勢いよく膨らませた。膨らんだ風船を、口から吐き出した爪楊枝でぱん、と割る。良い音が出た。それに満足して、改めて、閃いた、と呟いた。
 そのまま沈思の態勢に入った荻元の叔父の近くを、買い物帰りの鈴木の母が通りかかった。鈴木の母は会釈した。荻元の叔父は、咎めるような顔で会釈を返し、そのままの顔で見送った。アナウンスが流れる。本日の催し物はXXです。荻元の叔父は、席を立った。

南国英主・偽帝のご訪街

 街の離島である南国の英主が街にいらっしゃるので、市長以下有識者が揃い踏み。名誉市長山田氏、荻元先生、俗物堅物難物大集合。
 南国の英主とは云え、暖簾分けされてその上養子縁組を繰り返し何とか王家の名前を保ったものだから、その当人は呵々大笑して我は南国英主・偽帝なるぞと憚らない。偽帝は船に乗っていらっしゃった。それを灯台から確認すると、市長以下お迎えの人々は慌てて海岸に車を飛ばす。ようやく辿り着いた頃、南国の英主も丁度船から降りるところでギリギリセーフ。そのまま船に駆け寄る。
 まるで七福神の船のように煌びやかで、英主もまるで大菩薩のよう。お着物も純白の上品なもの。背中には偽帝のロゴが一文字。後光が海に乱反射。お付きの女は絶世の美女。
 よくお出で下さいました。市長以下平伏する。偽帝、苦しゅうない、ほっほっほと高らかにお笑いになり、市長に宝箱を与える。市長以下更に平伏する。英主、無意味に一喝。
 偽帝、地下街のドヤ界隈をご覧になりたいと仰る。彼らを励ましたいと云う。お付きの艶女、それに従う。市長以下それに従う。
 南国の英主、船から南国の果物を山と出してきて、これを彼ら彼女らにやりたい。と仰る。それら贈答品をバスに積み、バスで駅前の地下街まで移動。バス内で饒舌な偽帝。大通りではパレードの準備がされていた。荷物等はバスに乗せたまま先に地下街に乗り付け、偽帝はパレードの車に乗り換える。助手席には名誉市長山田氏。後部座席に現市長、荻元先生。続いてレッカー車にごみ収集車。
 万歳三唱。市民の万歳三唱。市民が涙を流して喜んでいる。嬉しがっている。偽帝万歳千歳。南国の英主満足気。パレードの車からひらりと降りて拍手喝采。そのまま地下街まではしゃぎながら駆けてゆき、地下街の住民や商人の元へ跪き、歓談懇談。素晴らしい日。

その橋を潜れば

 横川の父の妻は病身である。妻は大事にしてやれるのだが、男の営みはできない。そこで横川の父は、キャバレー通いを時々する。
 河辺に悪所船が出る船着き場があり、船に乗る。何人か乗り合わせる小さな屋形船だ。中で茶を飲む。一服分ほど進むと、橋を潜って、そこから水路で「キャバレー」に入る。水路からの船着き場には、幾つも悪所船が停泊しており、中には陸に上がらせずに船饅頭する女も居る。非常に賑やかだ。横川の父は、先ず寺にお参りする。信心深いわけではなくて、お堂の奥にある簡易ベッドの群、そこで比丘尼が待っている。ここが一番安くて綺麗な女が居る。
 安い焼酎を貰い、飲む。そのうち比丘尼が衣をはだけてくるので、少々の手業で色事をし、面倒になり果てぬまま代金を払って帰る。少々肌を合わせたいのか、妻への罪悪感か。

冬の章

横川の父と荻元先生

 先生、このようで宜しいでしょうか。うむ、そうだね。君は筋が宜しいね。横川の父は、荻元先生に「粘土細工」を習っていた。荻元先生はもう相当の高齢である。
 ここは荻元先生の邸宅である。横川が扱っている粘土は、何時も軽トラの黒いポリに入れてある、不気味なそれだ。この粘土には微生物が棲んでおり、自然と膨らみ増殖するのである。
 荻元先生は、そのような異色の粘土を使う事を良しとしなかったが、どうしてもこの粘土を使いたい、という横川の父の意向により、渋々と従った。
 君、この粘土は、素性こそ怪しいけれども、なかなか良い肌触り、粘度も良いね。まあ譲ってもらいたいとは思わないけれどもね。そんな事を荻元先生は云った。横川の父は、恐縮です、もう師走ですね、先生。と慕わしげに微笑んだ。
 部屋には、大きな粘土細工が置いてあった。横川の父が造形し、荻元先生が焼成したものだ。それは、小振りの人物像だった。それは、鈴木の母であった。
 部屋がノックされ、ひとりの女が入ってきた。荻元先生は、君、居たのかね。どうだい、調子は。と気のない感じでねぎらった。横川の父の隣に鈴木の母は座り、甘えるように寄り掛かった。
 横川の父は、よさないか。と云いつつも、軽く抱き寄せた。そこへ荻元先生が飼っている猫がにゃあ、と登場し、横川の父は猫も抱き寄せる、そのうち猫の方が良くなって、鈴木の母は遠ざけられた。
 鈴木の母は、そのまま台所に行き、お湯を沸かしはじめた。荻元先生は、その間、ずっとパズル雑誌の問題を解こうともがき苦しんでいた。年の瀬が迫っていた。冬の強い風が、荻元邸のガラス戸を何度も、何度も叩いた。

海の家の冬

 横川、鈴木、荻元、寺岡らが通っている学校では、七月に海浜教室があり、高校生たちは海の家に泊まる。横川らにとっては、あまり良い思い出がない。ある種のトラウマだ。
 海の家の店主夫妻は、毎年、夏の間は学生や遊び人等を泊まらせて稼ぐ。冬の間は、手作り雑貨の通信販売を行っている。その手作り雑貨の中には、荻元先生や横川の父が作った粘土細工もあった。荻元先生の作品の中には、県の重要文化財に指定されたものもあり、格も値段も違った。
 荻元先生を筆頭に、この街では、市井の芸術家を支えるという気運があった。海の家の店主夫妻も、それに乗っかって、冬の間を過ごしていたのである。
 おい。街のデパートのアドバルーン見たか。夫が云った。ええ、本当に、趣味が悪いわ。
あたしああいうの好きじゃない。妻は、発送の荷造りをしながら、そう云った。夫は、古い封筒を集めて束にし、それをビニール袋に入れている。それを部屋の壁に吊り下げて、今度は床に落ちている輪ゴムを拾い集めて、本当に趣味が悪いな、ああいう商業デザインというものは、質の良い市井のデザインに劣る、どうせ中央の人間の仕事だよ。と云った。
 電話が鳴った。荻元の叔父からである。夫は、愛想よく電話に応対し、愛想良く電話を切った。おい、荻元さんが、風船アートを作ったので、それを展示したいそうだ。妻はそれを聞いて、へえ、荻元さんも風船をやるのね。嫌だわ、アドバルーンの話をしている時に。聞こえたのかしら。と笑った。
 冬の海鳴り。海浜には横川少年が居た。上半身は半裸だ。裸足に波を受けてただ立つ。
横川は、何か大きな「海嘯を団子状に丸めたもの」のようなものから、小さな光るものを手渡された。と同時に、横川の背中には刻印がされ、かきむしった「古傷」が残った。

地方新聞の記者

 この街周辺をひとつの商圏とし、根を張っている地方新聞がある。その記者、Aは毎週荻元先生のエッセイを取りに行く。
 荻元先生は、ワープロで原稿を書く。荻元先生の亡妻はタイピストだった。妻が存命の頃、妻からワープロの手ほどきを受けた。ワープロが出始めの頃から使っている。
 記者Aは荻元と懇意にしており、今日も先生からエッセイをもらった後、飲みにいこうかと考えていた。
 記者Aが荻元邸に着くと、荻元先生が待っており、印刷した原稿を手渡した。今夜はお忙しいですか?先生。と問うと、荻元は、そうだな、飲みに行こうか。と誘ってきた。
記者Aは一旦社に戻り、荻元先生は机上のパズル雑誌を開いた。荻元は自分の銅像を作ろうとかねてから考えており、それにどう前衛性を含ませるかと思案していたのであった。
 記者Aとの待ち合わせに荻元先生は五分ほど遅れてきた。詫びて、荻元先生が繁華街を案内する。その中の路地、小店と小店の間に下り階段。降りていくと突き当りに割烹の引き戸。中は無人で埃がうっすらと。その便所のドアの先は踊り場、階段、更に旧式エレベーターを乗り継いだ先にある料理屋だ。本当の隠れ家。荻元先生は、アシカのショーで発見した話、山小屋での不思議体験の話などした。少しずつ酒が進んでいく。店主は物静か。
記者Aは、この店も相当深くにありますが、まるで地底人になったようですね、と。荻元先生は頷き、そうだな、この街には、地下世界伝説があったな。それが埋蔵金を示唆しているとかで、いっとき、発掘隊も来た事があったな。あるものなら、探してみたいねえ。
記者Aは、そうですね、そのようなものが見つかれば記事にしますよ、と笑い返した。
今夜限りの冗談話が吹き抜けて、ランプの灯は大きく揺らめいた。

記者Aの兄

 記者Aの兄は失業していた。記者Aを頼ってきたのだが、Aは兄を追い返して、そのままAの兄はこの街で日雇いのような仕事をしていたが、寮から追い出された。
 行くあてもなく、彷徨う。また弟のところへ行こうか。そうも考えたが、どうせ追い返されるだろう。もうすぐ冬が来る。それまでには、何とか、食い扶持を見つけないといけない。大きな屋敷があった。一か八か、この屋敷で喰わせてもらうか。そう考えて守衛のところで、ここで喰わせて下せえ、と哀れっぽく云った。わざと大きく咳き込み、痰を吐いた。守衛が、にこつきながら近付いた。
 僥倖だろうか、食い扶持をあてがわれる事になった。但し、ホームレスとしてである。野生の無宿人でなく、「飼い慣らされた」無宿人になるわけだ。記者Aは飯さえ喰えれば理屈はどうでも良いという性質だったから、この話に乗った。週に一度はパチンコに行く小遣いも貰えるようだ、へへ、奇特な人も居るもんさね、しゃぶれるだけしゃぶり尽くしてやるわい。Aの兄はほくそ笑んだ。邪な黄色い目が、鈍く光った。
 そう、醜悪な小男を演じている、あの寺岡の屋敷にAの兄は潜り込んだのだった。寺岡少年のために、寺岡家では、飼い慣らすための無宿人を探していた。それは、趣味と慈善の両立とも云うべきものであった。
 その頃、記者Aは、喫茶店でひとり、自身の兄の事を思い出していた。兄さん、元気だろうか。ちゃんと喰えているかなあ。畑も山も売ってしまって、商売に失敗した兄。その後は博打三昧、投機に賭けて、目も当てられなかった。そんな放蕩者、やくざ者でも、兄は兄だ。少しの罪悪感と、憎しみと…。
 また…。Aの兄は、寺岡の命で、弟を安心させるべく、手紙を書けと云われていた。にやにや笑いながら、兄は手紙を書くのだった。

主従と横川

 高校の放課後。放課後まで荻元と話していた鈴木は、用があるからと帰った。荻元は、所在なくただぼんやりと学校を彷徨った。
 職員室の前で、寺岡に遭遇した。寺岡はすぐにひれ伏し、ご主人様。とだけ云った。荻元は、寺岡、学校の中を検分しましょうか。一緒に来なさい。と命じた。そのまま体育館に行く事にした。今日は、忌々しい卓球部ではなく、バレー部及びバスケット部の練習日だからだ。チームも人数が足りずに肩身の狭い思いをしている。
 体育館の前で、横川に会った。横川は、ただ、体育館の前で立ちつくしていた。
 横川君どうしたの。横川に問うと、横川は、何でもないんだよ、とぶっきらぼうに云った。荻元は、横川を意識した事もあったが、この時わかった。自分は、寺岡を愛しているのだと。それをすぐに受け入れ、荻元は無表情のまま、じゃあね。と体育館に寺岡と共に入った。横川もそのまま続いて、体育館に入った。    
コートには生気がない。バレーとバスケットの練習をしているが、遊び半分だ。荻元は、寺岡、あなたもちょっとやらせてもらったらどう?どちらが苦手?と寺岡に問うた。寺岡は、バスケットは不得手です。ドリブルができません。と、羞恥と苦悶の表情をにじませた。荻元は、トライしなさい、と云い放った。横川は、寺岡君、一緒にバスケットやろうか。と云った。寺岡は、はい、横川様。ときびきび、ぎくしゃくとコートに入った。
 横川は…バスケットがやはり不得手だった。横川はドリブルが何とかできる程度、寺岡に至っては立ち止まってのドリブルすらできない。バスケ部の連中は、自分たちより下の者が出てきた事が嬉しそうだった。
 少女荻元は、その光景を、やや複雑な表情で見ていたが、衝動めいた幸福感に動かされ、お前ら、しっかりやれ!と心中、絶叫した。

新春の章

初詣は大騒ぎ

 鈴木、荻元、寺岡は初詣に参じた。横川とは連絡が付かず。この街の真ん中に大きな神社公園がある。相当広い。
 参拝は二の次、三の次、誰それ構わずお神酒や甘酒を振る舞う。神社だが除夜の鐘もつくし、年越し蕎麦も、饂飩も、屋台やら社務所やらで配りまくる。小学生の集団が酒を飲まされ、酩酊して騒いでいる。お神酒も甘酒も正月ならば関係ない、と乗せられた子供たちが調子に乗って盃を空にする。大人たちは煙草を延々と吸いながら延々と焼酎を飲んでいる。サイコロ博打が始まった。遠巻きに見物する幼酔客が、笑いながら囃し立てる。
 鈴木、荻元は、甘酒とお神酒を舐めるほどしか飲まなかったが、寺岡は強かに飲んで、振る舞いの蕎麦やら饂飩やらを食べる。そのうち誰かが焚火を始める。焚火の前にはバケツが置かれ、任意で小銭を放って火に当たる。
 そのうち葬式も始まった。葬列はまるで仮装行列で喪服の上に紅白の法被を羽織り、笛や太鼓を打ち鳴らす。婚礼も始まった、但し猿と犬の婚礼であるから飼い主たちがローラースケートで走り回り、歌を歌い出した。
 鈴木と荻元は舞台の方へ向かう。舞台では神事を行っていた。何時の間にか寺岡が居ない。ふと見れば、寺岡は舞台で舞っていた。正装にて神妙に踊るものだから感心した。冬の寒さの中、お囃子が聞こえてくる。祭囃子である。誰かが神輿を出してきて担ぎ始めた。鈴木と荻元は爆竹を打ち鳴らして、笑った。打ち上げ花火も、どん、どん、どん。
 さて横川は、神社の大木のてっぺんに居た。木登りは得意だった。そこから、全ての乱痴気騒ぎを眺めていた。
 車椅子の連中が、大挙して押しかけ、石合戦を始めた。東西施設対抗石合戦。横川は木から降りて、その審判を買って出た。鈴木と荻元は狐の面を装着したまま大笑いした。

用務員の春

 高校の用務員にも春が来た。用務員の春と云えば、新春キャバレー祭りである。普段では手に入らない上玉が、安い値段で買えるのである。この街の赤線は文化遺産に登録されている。新春キャバレー祭りは、その一大イベントで、日本中からその手の女が集まる。
 もう直ぐ祭りだねえ。ウキウキとした気分で、高校を掃除する。焼却炉の中を掃除しようと、何気なく開けてみると、酷くすえたような臭いがする。臭みの強い人間の居続けた臭いである。気持ちも真っ逆さまだ。
 とても気味が悪い。まさか人を間違って焼いたわけじゃなかろう。焼却炉の中にはまだ人の気配が残っているようだった。カラスの群れも校庭にやってきて不気味に飛翔する。
おぞましい、生理的なごみがあるので手早く処分する。片付けてしまえば現金なもの、キャバレー祭りまでの日を心の中で指折った。

鈴木の母、デパートに行く

 駅前の小さなデパート、楽しげなアドバルーンが揺れている。鈴木の母はここで野菜や魚、惣菜などを買った。小さなゲームコーナーがあって、そこにひとりの若者がゲームに興じていた。横川だった。
 横川君、こんにちは。鈴木の母は声をかけた。そのような性格だった。横川は、はにかんだように笑って、ちっす、とだけ云い、再び画面に向かった。
 鈴木の母は、デパート内にある簡易郵便局で葉書を買い、エレベーターに乗って屋上に行った。そこでカステラを買い、空を見上げた。その心の想い人は、かすれていた。
 突然、強い風。そしてそのまま風が吹き始めた。天気が急に悪くなったようだ。春一番だろうか。そのまま、デパートとこの街を雨が静かに濡らしていった。もうすぐ春が来る。
もうすぐ春が…。

ある大学教授の訪街

 著名な大学教授が英国から、この街に来る事となった。市民大学はこの教授を駅で迎え、地域の名所旧跡を案内した。
 考古学専門という事で、特に遺跡に興味を持っていた。荻元先生と、記者Aもそれに同行した。英語ができる上、荻元と記者Aの教養…いや、首を突っ込んだといったところだ。教授、どうしてこの街の遺跡にご興味が。教授からすれば非常に凡庸なものだと…いや僭越ながら。記者Aがお道化てそう教授に云うと、教授は、うん、だからこそ、見えてくるものがあるんだよ。と笑った。比較的若い教授であり爽やかだった。教授は、市民大学の英語の話せるものとそのまま談笑し、興味深げに地域の遺跡を巡っていった。
 教授はそのまま、市民大学の連中と地域資料を調べに図書館へ行った。春の花のつぼみや木の若芽が、ほころび始めていた。

パチンコ店と界隈

 軍艦マーチと店員のDJのようなアナウンス、たちこめる紫煙、パチンカーたちの沈黙と熱狂。そして出玉の弾ける音、音、溜息。
 記者Aの兄も打っていた。釘の目を見ながら、慎重に玉を弾き出してゆく。チューリップの花が開いた。箱がパチンコ玉で埋まってゆく。記者Aの兄は下品に顔を歪めた。玉は三箱に納められた。安い貸し玉のため、知れた量ではあったが、これを手銭やカップ酒に交換する。煙草はやめたようだ。
 鈴木の母が、パチンコ店の前を歩いている。ちょうど記者Aの兄が退店するところだった。鈴木の母はそれを風景の一部として見、何も感ずる事がない。この街に無宿人は多い。
 その場を、卓球部の山田部長が自転車で通り過ぎた。相当の価格の高級自転車に、フルオーダーの学生服である。これから予備校に行き、受験直前対策講座を受けるのである。

受験の日

 うかうかしている間に受験の日取りとなった。横川はタキシード、鈴木はウェディングドレスを着た。横川ははにかみ、鈴木はもっとはにかむ。初々しい。鈴木の母、涙する。
 受験会場はホテルの大広間だった。横川、鈴木は新郎新婦受験であるから一番前である。その他大勢は、賓客の丸テーブル。披露宴形式である。斬新だが二十年続くスタイルだ。
 いわば受験生代表といった形、横川こそがり勉していたが、少女鈴木は殆ど勉強していない。正に徒手空拳であるが、本で覚えた知識がある。だが全て明治から大正期、せいぜい昭和初期の本で勉強しているため心許ない。
 テスト用紙が配られ、受験が始まった。静かな環境音楽が流れる。横川のペンが止まった。勉強熱心な横川ではあるが、まるで底なし沼に嵌まったように動けない。案外鈴木のペンが軽い。滅茶苦茶な筆記体が燃えている。
 その他大勢はもっと酷かった。途中で催すもの、思わずナイフを落とすもの、ワインを注文するもの、カンニングで捕まるもの、急に気を失うものなど。どんどん脱落していく。最早、最後までおとなしく受験していれば枠に残る状態に。会場は櫛の歯が欠けたよう。
 鈴木も、思わず暴れたくなった。この奇妙な会場の受験、しかも自分はウェディングドレスである。ヒステリックに叫んでみたいだとか、大見得を切ってみたいだとか衝動に駆られる。しかし遮二無二頑張って、我慢した。受験は一科目、総合科目で120分で終了。
集計している間に、幕ノ内弁当が配られた。鈴木は何故この会場で幕ノ内なのだと不満。
横川、いいじゃないかと大きく構える。食べている途中でアナウンス。合格者は居ません。会場どよめく。但し補欠合格、鈴木、及び横川。鈴木と横川、涙なみだのハイタッチ。
 かくして鈴木と横川、合格した。補欠でも合格は合格。補欠ユニフォームが手渡される。

まともな受験

 荻元と寺岡は同じ会場。上京して受験。某大学。寺岡の受験費用はカンパで工面。キャンパスの木が揺れている。それに怯える寺岡。
 奇しくも会場の部屋が同じ。荻元、寺岡の手を握ってやる。寺岡はずっと震えている。
 三科目受験。荻元、かなり苦戦する。寺岡はどうだ。荻元の席のかなり後方が、寺岡。寺岡、荻元が見ていない事をしっかり確認して、すらすらと解く。恐らくは満点。未だに演技している。寺岡の臭い香りに周囲は絶句。
 受験が終了。寺岡が震えている。涙している。ご主人様、自分が受験するなんて烏滸がましい事だったのです。自分を処分して下さいませ。跪く寺岡。何時もの寺岡のやり口。
 荻元、しっかり寺岡を抱き締める。寺岡君、もう演技はいいよ。全部知っているよ、お屋敷の事も。これからは友達になろう。
 寺岡、驚愕。そして大号泣。まさかの事。

卒業式

 卒業式の日。桜が間に合い、晴れやかな日。鈴木と横川は、この街の市民大学に合格。荻元と寺岡は東京の某大学に合格。何とも楽しい日。桜の花弁が、一斉に教室に舞い込む。
 卓球帝王、山田部長は、祖父のコネクションで卓球関係の仕事に就く事になった。正直浮かない顔である。少しずつ山田部長と距離を取っていく卒業生。卓球バブルが、突然弾けたのだ。これからは野球やサッカーの時代。来賓挨拶は、名誉市長山田氏。今少し立場が悪い。マルチ回春療法で訴訟を起こされている。そんな素振りも見せず、簡略に挨拶して、他の学校へ巡回するのだと、颯爽と去る。
 教室。先生の訓話、人間万事塞翁が馬である、云々。横川、何か書き物をしている。未だ終わっていない宿題がある。やり終えて、先生、未提出の課題ですが…と挙手する。先生は、大笑いして、ただ力任せに放屁した。 

第一章 ちょっとした事件

鈴木は、かようにこれまでの事を思い出したというわけである。しかし横川が居なくなったという事実は変わらない。残されたのは古いコイン一枚である。冷静になってもう一つ思い出した事、それは横川と自分は、四月から市民大学に行かねばならぬという事。
 市民大学なるものは簡便な手続きと、安価な学費、何とか入学式に間に合えばその事は何とかなる。市民大学は、人間偏差値を標榜しそれさえ超越する。如何に市民大学とは云えど、当人なくして物事が進むかと云えば定かではない。市民がそれを許さないだろう。
 鈴木は、階下の母に、横川君見なかった?
と問うた。母は、うん、知らない。知らないよ。とまるで子供のようだった、母は、ピーナッツを食べながらテレビに夢中だった。
 鈴木はもう一度、勝手口の方へ回った。とても小さな裏庭と勝手口である。鈴木の部屋から階段で降り、その脇に勝手口があって、そこを出ると小さな裏庭に続く。そして小さな裏庭は、行き止まりの庭であって、ここから外へ出る事はできない。出ようと思えばブロック塀を乗り越えねばならぬ。
 しかし、恐らくはブロック塀を越えていったのだろう。それ以外道はないからだ。鈴木は一旦家の中に入って、外からブロック塀を眺めてみた。痕跡が見えるような、やはり見えないような気がする。
 鈴木は近辺をじっと見つめてみる。何か隠されたヒント、啓示はないだろうか。鈴木さん。鈴木さん。鈴木は声をかけられて少し驚いたが、友達の荻元と寺岡が来ていた。
 荻元と寺岡は、卒業後、鈴木と横川がくっついた事をそれとなく知っていた。故に、鈴木がこのように家の外で何かごそごそとしている事を不審に思った。
 鈴木さん、横川君はどうしたの。荻元は問うた。打ち明けようかと一瞬迷ったが、鈴木は、二人に横川が失踪した事を暴露した。話しながら、鈴木もまた、気付いた。寺岡がボロでない、綺麗な服を着ている事を。また、これまでのように背中を丸めているわけでもなく、見違えるように凛々しい。身長が低いのは変わらないのだが。
 荻元は、鈴木の打ち明け話を聞いた。そこで荻元も、これでおあいこだから、と、寺岡は実はお金持ちであるという話をした。私たちもちゃんと付き合うようになったのは、受験が終わってからだった、と話した。衝撃はなかった。ただ不安を包む、春の穏やかさ。
 鶯の声が遠くに近くに聞こえる。近所に梅の花が咲いている。春うららかな陽気。鈴木は、荻元と話しているうちに、この春の良さを改めて感じるようになった。持ち前の陽気さと、狂気が顔をもたげ始めて、鈴木は朗々とした声で春の唱歌を歌い始めた。それに荻元、寺岡も加わって、三部合唱となった。
 ひとしきり歌った後、鈴木は、寂しさに襲われた。やはり横川は居ないのである。荻元が、横川の家に行ったらどうか、と提案した。寺岡は横川の家を知っている、と云う。寺岡は横川が居ないという事には比較的無関心であったが、その分冷静でもあり、横川は一度、家に戻っているに違いない。そう云い切った。
 鈴木と荻元は、やはりこういう時、男は案外冷静だ、ずっと芝居を続けていただけあって、冷静だ、と思った。寺岡の案内で横川の家に向かう。
 横川の家に着く。呼び鈴を鳴らしてみると、誰も出てこない。車がないので、横川の父は不在なのかも知れなかった。数分待つと、人の気配がして、はあい、只今。とゆっくり玄関に誰か来る。
 それは横川の母だった。自己紹介をすると、横川の母は、あら、何時も、お世話になってます。皆さんの事は聞いているの。わたし、最近、体の具合が良くなってきてね。あの子やお父さんにも心配かけたけど、五月くらいからパートにも出られそう。などと快活に話す。鈴木らは、それは何よりといった風。和やかな空気である。春であるからして、鶯ではない何某かの山鳥が鳴いている。何だか眠たくなってきた。
 鈴木、思わず、眠くなってきちゃった。と横川の母に甘えるように云った。横川の母は、じゃあお昼寝なさったら。そのうち、うちの子も帰ってきますよ。ご学友、お三人、うちでお昼寝していきなさいよ。強い勧め。
 一同、本当に眠かった事もあり、居間の炬燵で午睡を取る事とした。時は午後一時半、そうだ二時間くらい眠ろうか。三人は本当に眠ってしまった。横川の母も、自室に戻って昼寝しているようだ。
 何やら、ぼんやりした夢を見て、鈴木は目覚めた。荻元と寺岡を起こす。机の上にメモ書きが残されており、お目覚めになりましたらご自由にお帰り下さい、お構いなく、とある。時計を見れば午後三時前ぐらいである。三人は横川の家を後にした。まだ夢の中に居るようであり、夢が背中の裾を引いている。
 外に出ると、横川の自転車が置いてある。さっきまでは確かになかった。喜ぶ鈴木。横川の自転車を眺める。一旦、自転車を置いて何処かに行ったのではないか。寺岡が、横川さんがいらっしゃるのは、河辺ではないか、と云う。歩いて河辺に行くのでは、と。
 一同、河辺に向かう。河辺には桜並木がある。風にそよぐ桜の花。横川は居るか、横川は居るか。居たのは、卓球部の山田部長だった。お付きの者たちを従えて、桜並木を見に来ているようだ。一同は、山田部長に聞いたとして、そこから得られるであろう情報が何にせよ、嫌悪感を伴うものであるから、遠巻きに無視する事にした。
 故に、橋を渡って、山田部長一座の向こう岸に行く。他に花見客は居ない。鈴木は、溜息をついた。荻元も、鈴木への友情から、何とか今日中に見つかればいいけど、とも思ったし、横川君は真面目だから、きっと夜までには戻ってくるだろう、とぼんやり思った。
 さて寺岡は、皆さん、ソフトウェア・ハウスに行きませんか、と提案した。唐突だった。しかし寺岡の説明によれば、そのハウスは、卓球のシステム開発をしている会社で、寺岡家の会社の子会社である、あの山田部長がそこに四月から就職するのである、何かヒントがあるかも知れない、と云う。山田部長の目撃から触発されたアイディアではないのか。
 何もヒントがあるように思えなかったため、その案は却下された。寺岡の人脈の網は、頼りになるものであったが、この際だからと闇雲に無駄弾を撃ちまくるわけにはいかない。
 ただ、今の寺岡の自由になるものは、演技時代の忘れ形見である無宿人軍団、及び地下街の行商人やら芸人たち、それからこのソフトウェア・ハウスである。それならばと、地下街の方へ行ってみようか、と決め、一同は地下街へ向かう。
 地下街のドヤは、春になると益々賑わってくる。バックパッカーの簡易宿泊所もでき、地下街をどんどん拡張して至るところで工事を行っている。寺岡の顔は完全に割れており、行商人やらお笑いやら、芸人やらが、媚びを売ってくる。寺岡、地下連盟の主に事情を説明してみる。全く心当たりはないが、めいめいに説明して、網を張ってくれる事になった。
 鈴木、荻元、感心する。これまで演技によって隠されてきた非凡なところが露出している。荻元は、こんな寺岡を横川に紹介したいという気持ちに駆られてきた。これほどの男を、かつては奴隷同然に扱ってきたという優越感。荻元の感情は、また新たなステージに移行したのだった。
 荻元は、これで気分を良くして、ソフトウェエア・ハウスに行こう、と云い出した。地下でも王のようであるなら、システム開発の会社ならばまた趣の違った権力を垣間見られるだろうと思った。
 逆に寺岡は気が進まず、いやあ、云い出したのは僕だけど、あまり意味がないのではないか、などと云う。鈴木は黙っていた。荻元は、寺岡君、お願い、意味なくてもいいじゃん。と押し切る。寺岡は承諾した。鈴木は虚心にて沈黙を保っていた。何もしないよりはましであるからして。
 ソフトウェア・ハウスは、駅前から少し横道に入ったビルの一階から三階である。一階は倉庫であり、入口にIDカードをかざして寺岡が先導して入る。小さなビルで直ぐのところにエレベーターがある。三階で降りる。
 三階は、システム開発という様相でなく、まるでアトリエのよう、油絵具の匂いがする。ひとり洋画家然とした男がキャンバスの前で筆を振るっている。寺岡を見ると、洋画家は、喜色満面、愛想良く話す。寺岡に絵を教えているようだ。
 薄暗いアトリエ空間、立体と絵画、画材等の道具。ワンフロア殆ど壁もなくそのような空間。本格的なる芸術の息吹。カーテンの隙間から差し込む陽光。風景画や人物画、抽象画やその他立体。押しも押されぬ美術群。圧倒的なアートの矢継ぎ早の猛攻撃。
 寺岡が話し込んでいる間、鈴木と荻元はアトリエの中を物珍しく物色する。面白がっているうちに、鈴木は声を出した。アー!洋画家も笑って、アー!と叫ぶ。その声が大きいが場違いな感じはしない。今度は荻元が沈黙する番であった。
 洋画家は、インスピレーションを得たようで、再び作画に没頭する事になった。こうなったら誰が何を話しかけても無駄のようである。寺岡が云うには、彼はその横川というのを幻視した、彼は深いところに居る、らしい。鈴木、曖昧な感じ、戯言なのか真実なのか、見分けが付かず。
 今度は二階。二階はシステム開発然としたところ。皆、忙しそうで、寺岡を構っている暇はないといった風。パソコン、プリンター、その他機器類。寺岡が電話回線の繋がったマシンでアクセスしている。黒地に緑色の文字、鈴木と荻元はわけがわからない。ピーヒャラピーヒャラ、ファックスのような音が響く。
 居心地の悪い圧を感じた鈴木と荻元。ちょっと想像していた歓待の感じではなかった。しかし最後に、寺岡が社長を呼びつけ、厚みのある古い封筒を渡す。社長、平身低頭するも、そのまま電話に呼ばれて電話口に駆けていった。電話口の異様な緊迫感に気圧される。
 今後は一階の倉庫へ。寺岡が珈琲を入れてくれる。小さな休憩室のようなところがある。寺岡がログインして得た情報によれば、横川の複数の目撃情報があり、今頃は家に戻っているのではないか、という事。一同、横川の家に再び寄る事に決めた。無駄足、徒労感。
 横川の家に着いた時点で、午後六時。父親の車があり、自転車もそのままだった。再び呼び鈴を鳴らすと、横川の父である。横川の父、上機嫌。そうか、あいつの友達か。もし良かったらで良いんだけど、夕飯を食べていってよ。今日、炒飯を作ったんだ。
 鈴木、荻元、寺岡、一同恐縮するが、いやいや、あいつが急に居なくなって、探してくれたんだって?こっちが悪いよ。と、横川の父は笑顔。息子が帰ってくる事を疑わない。こちらも、横川の行動様式にそこまで精通しているわけでもなく、その笑顔に促されるように夕飯を頂く事にした。
 横川の父母、そして三人。食卓を囲む。炒飯と中華スープであるが、とても旨い。本当に旨い。寺岡は相変わらず腹を空かせており、遠慮しつつも大量に食べる。父も母も食べるしスープを飲む。鈴木、荻元も、何だかんだでかなり食べる。
 ただいま!横川の声である。一同、注目。横川は、砂まみれで疲労困憊して帰ってきた。とりあえず、湯で流したいという事で、風呂場へ行く。横川の父は、最近はうちの稼業も絶好調で、儲かって仕方がない、妻も元気になって毎日が楽しいよ!と上機嫌。典型的すぎる明るさに潜む空虚さ、真空の力強さ。
 家庭的な雰囲気。遠くで犬の鳴く声がする。砂を流してきた横川少年が、早速炒飯を食べ始める。かなり空腹のようだ。横川の父が饒舌に喋る。母は微笑む。横川の食事を終えて、横川の話を聞かなければならない。横川の家に横川の個室はないため、皆で鈴木の家に行く事にした。
 鈴木の家。母に、夕飯は食べてきたの、と告げる。母は、そうだね、わかったよ、とあっさり答える。鈴木の祖父が訪ねてきており、一階の居間には母と、祖父が、テーブルの上に書類を並べて何やら話し込んでいる。最早、こちらは娘どころではないらしい。寺岡だけが、恐らく同居の相談をしているのだろう、と気付いたが、だんまりを決め込んで、共に二階へ上がる。
 さて…横川の話が始まる。とりあえず、横川に話をさせないといけない。横川の話が、謎を解く糸口となろう。横川は、まず、鈴木の方に相対して、闊達に話し始めたのである。
 …とりあえず、鈴木さんと別れるつもりなんてなくて、そう、このコイン、これをあげた記憶なんてないんだ、俺は。最近、記憶が飛ぶ事が多くて。去年なんかも、気付いたら海岸に居たりとか。そう、あの海岸だよ。
 このコインも、何時の間にか持っていたんだ。だけど、まあ、そういうもんかなあって。
 今日なんかはさ、鈴木さんと部屋に居て、衝動的に別れよう、なんて口を衝いちゃって。本心じゃないんだよ。何かが憑いているような感じで…その直後、正気に返ったんだけど、これは、思わず、階段を降りて、裏庭に出たんだけど。それがさ。
 蟻地獄っていうのかな、裏庭の部分が砂があってさ、そこにめり込んでいってしまったんだ。本当だよ。嘘じゃないよ。どんどん、砂に吸い込まれていって。気が付いたら、不思議なところに居た。
 そこは砂漠なんだけど…一面、砂の世界。そしてさ、空は、オーロラがかかっているような感じで、薄暗くて仄明るくて。で!空には、青い星が光っている。あれ、地球みたいだった。ちゃんと呼吸もできるんだよ。
 怖いからさ、何とか、脱出しようと思って。そしたらさ、バベルの塔みたいな、天まで続く建物があって。そこまで、1キロぐらい離れていたかな、そこまで走って。入口の直ぐのところに、エレベーターがあったんだよ。それに乗ったら、戻れるんじゃないかと思った。で、乗ったんだよ、俺。
 それがさ、一階までの直通みたいなんだ、こんな砂の世界で、まだ誰にも会ってなかったけど、とにかく、怖いからさ、それで一階まで行った。長かったよ!エレベーターに乗っている時間が一番長かった。数時間、上昇していたと思うよ。それで。
 戻ってきて、一階に着いた、その場所がさ、駅前の何かのビルでさ。場所?わかるよ。明日一緒に行ってみようか。それで家に戻ってきた。そこのポテトチップス、食べていい?そういうわけ。俺、幻覚でも見ていたのかなあ。病院行った方がいいかも知れない、マジで。でも、体験はしたんだよね。どういう事?怖いわ。悪夢を見ているみたいだ。
 横川の語りが終わり、皆、呆気に取られていた。これは横川の壮大な冗談、嘘話かも知れない。コインを横川に返して、今夜は散会、また明日、鈴木の家に集合する事とした。
 翌日、朝から鈴木の家に集合した。鈴木の母は、祖父が今は別に住む家に、朝から出かけて留守である。少女鈴木も、何となくそちらの状況がわかり始めた。それはそれとして、四人が集合。まず、裏庭を検分する事とする。
 横川が、蟻地獄だと云っていた場所。裏庭自体も、大よそ4坪程度の広さ、此処に何かあるのは信じ難い。その場所は、裏庭のブロック側の角地だと云う。
 その場所は、確かに柔らかな感じがあり、多少の砂もぶちまけられていた。しかし、慎重に踏みしめてみても、蟻地獄という事はない。寺岡は、庭のスコップで少し土を削ってみた。粘度の高い土が層を為している。どうやらこの辺の表土が粘土質のようだ。十五センチほど掘り進めてみると、あるのは砂だった。一同に戦慄が走る。この裏庭には樹木も何も植えていない。それは誰も興味がないからだった事と、一時的なごみ袋等の置き場にしていた事などの消極的な理由だった。
 これまで、鈴木家が興味を示さなかった裏庭の地層に、このような秘密が。横川は、でも不思議だよな、表土が粘土層で、その下が砂、そんなところにどうやって家を建てたのか。家の基礎とかどうなっているんだろう、と疑問を呈す。これには一同しきりに頷く。
 寺岡の推理として、表土はともかく、深層の砂の地層が隆起してきたのではないか、と。もしそのような、地下の砂世界があるなら、とっくに発見されている筈だ。鈴木さんのお宅が、砂に侵食されているんだ。早速、地質調査士に調べさせよう、地下街のドヤにその手のプロが居るんだ。寺岡は電話しに家の中に戻る。寺岡の意見は、少し飛躍しているようには思った。とりあえず、寺岡に続いて、残り三名も家の中に戻った。
 寺岡が連絡を終えて、一同、横川が昨日帰ってきたエレベーターを調査してみよう、という事になった。駅前の方へ向かう。途中で荻元の叔父と荻元先生、記者Aの三人組が歩いてきた、少女荻元、こんにちは、と挨拶する。
 横川の案内した場所は、昨日訪ねたソフトウェア・ハウスの右隣のビルであった。このビルの鍵も寺岡が持っていた。鍵の束をじゃらんと出して開けようとするが、既に開いていた。
 ビルの扉を開けると、一階に管理人室があり、奥手に部屋のドア、左手にエレベーター、更に左手に上り階段がある。横川が云う、そうだ、このエレベーターで戻ってきたんだ、それは確かにそうなんだ、何時間もかけてだよ、リターンした、そうだそうだ。寺岡は管理人室に声をかけて、しばらく話し込む。
 鈴木はその間、寺岡をじっと見つめていた。寺岡君は、一体、どうしちゃったんだろう。あたしたち、一体、どうなるんだろう。物語の歯車が、ぎしぎしと噛み合って回り始めている感覚。
 寺岡が管理人室で話を聞いた。管理人は、数週間前にある事情で交代となった、自分はよく知らない、このビルディングは元々はマンションだったけれども、一斉に退去したか、させられたか、わからない。現時点では無人の状態だが、何時から無人なのか、もう三年くらいは無人の状態なのではないか、これまでは施錠していたけれども、自分が入るようになって、居る間は開錠している、以前の管理人はいい加減で施錠して出かけてしまったが、自分はなるべく此処に寝泊まりして、開錠するようにしている、と。実際のところは、わかりゃしませんがね、と余計な一言も。
 昨日、エレベーターから横川が出ていった時、管理人もエレベーターが動くのを初めて聞いたので驚いたらしい、しかし、時々何かしらの出入りはあるし、メンテナンスの人が来たのかと思った、と。このエレベーターは自分も使った事がない、三階までしかないビルディングだから健康のために階段を使っている、と。
 一同、とりあえず、エレベーターを検分する。エレベーターはドアが閉まり、中身は一階に来ている。昨日、横川がこれで帰ってきたとすれば、そのままになっているのだろうか。外川の表示階は、地階、一階、二階、三階である。このビルディングには地階へ降りる階段はないため、エレベーターを用いて「地階」に降りる事が可能なのだろう。少なくともそう表示されている。
 一同、意を決して、エレベーターを開ける。やや旧式のエレベーターであり、それがより一層の恐怖感。目の前の、何か状況を変えてしまうような操作ボタン…。鈴木が、怖いよ、地下のボタンなんか押さないで、三階とか二階に行ってみようよ、やめようよと喚く。これには他の者も恐怖を喚起されたようで、一旦、エレベーターから出る事にした。流石に二階、三階などに上がっても意味はない。
 寺岡、ふと気付き、再び管理人室へ。管理人室で何かをコピーしている。戻ってきた寺岡は、ホチキス留めした紙の束を持っている。曰く、エレベーターのマニュアルがあるので、それをコピーしてきた、と。コピーの途中でなかなか興味深いものを見たけれども、ここじゃ何だから、昨日のアトリエに行こうか、と云う。横川が、寺岡君は凄いなあ。物凄い資産家だね、このあたりのビルはみんな寺岡君のものなの?と改めて云う。寺岡ははにかみながら、そうだよ、と。荻元、得意そうな顔。鈴木、恐怖が少し冷めて、マニュアル読んだら地下のボタン押しても構わないよ、などと云う。
 アトリエでなく、ソフトウェア・ハウスの一階の休憩室へ。社員が数人、マンガ雑誌を読みながら煙草などをふかし、休んでいる。寺岡の顔を知っているようだ、軽く会釈して再びマンガ雑誌に没頭。今、このマンガ雑誌は大変な展開を見せており、寺岡どころではない。漫画史に残る伝説的な連載がピークを迎えている。卓球によって運命を引き裂かれた人々の悲喜的群集劇である。この漫画の盛り上がりにより、卓球バブルが弾けた後、再び卓球のバブルが膨らみ始めている。この会社は卓球関係のシステム開発、正に死活問題である。
 さてマニュアルである。マニュアル自体はエレベーターの動作を説明したもので、何かおかしいところはない。メーカーも国内大手であり型式はやや古いがおかしいところはない。鈴木は、寺岡君、これじゃ何もわからないよ、と云った。横川は、何時の間にか、ガムを噛んでいる。しっかりと噛んでいる。
 寺岡は、それはそうだ、こちらの別冊を見て欲しい、と云った。別冊は、エレベーターのメンテナンス内容や具体的な挙動を示したものだった。おかしいのは此処だ、ちょっと読んでみるね、と寺岡。
 …当エレベーターの運用にあたっては、地階と表示される部分への階層への移動について、幾ばくかの問題点あり。昇降機能はしっかりと動作しているが、地階へ移動する場合、地階に到着した時の困難さが見受けられる。さりとて、地階への降下について、この機能だけを止める事ができず、また、地階より上昇してくるユニットは全く確認できないが、動作確認については地階については省略しても良い。具体的には、地階への移動は気圧の変化等は相殺されるにせよ、三時間ほどの経過時間を要するため、精神的な面において大いに危惧される。地階の安全確認は行った記録はなく、くれぐれもご注意をお願いしたい
のである……とあった。
 もって回った文章なので分かり辛いが、要は、三時間かかるという事、相当深いところまで行きそうだという事など。荻元は、横川君、あなた昨日、上がってきたんでしょう。どうだったの?と問うた。横川は、ああ、俺、半分気を失っていたからね、中で。いや、完全に昏睡していたかも知れない。最近、記憶が飛ぶ事が多いからさ。などと明朗に云う。本当に覚えていないのか、荻元はやや疑念を感じたが、しょうがない、と溜息をついた。
 そして横川は、やっぱり、このエレベーターで地階に行くのは反対だ、俺はもう二度と行きたくない。と云い出した。よくよく考えてみれば、この事に固執する必要はないのではないか。そんな空気になっていった。荻元と寺岡は都会の大学へ行くのだし、鈴木と横川はこれから市民大学で色々とあるだろう。横川は、俺が急に居なくなったりして、迷惑や心配かけたけどさ、もう、この事はなしにしようよ、と笑った。
 それは、若さだった。それもまた、若さだった。休憩室での休憩が終わり、社員たちは二階のオフィスへ戻っていった。それとすれ違いに、別の社員がマンガ雑誌と喫煙を目当てに降りてきた。寺岡は、本棚に無造作にコピーしたマニュアルを放った。散会しようか。そうなった。笑いながら、一同は別れた。
 これからの新生活が、おいで、おいでと、手招きしている。無謀な冒険よりも、平凡な未来の不確かさを、彼らは選んだのだ。

第二章 穏やかな日々

 四月になった。鈴木と横川の付き合いは続いている。横川の失踪があってから、二人の情熱は少し冷めたけれど、逆にその紐帯は分かち難いものとなった。荻元と寺岡は、都心で同棲しながら大学に通う事になった。二人は、たびたび手紙をくれるので、手紙をやり取りしながら情報交換している。二人は相変わらずのようだ。
 鈴木の家の裏庭であるが、ボーリング調査の結果、表土は粘土層、その下はずっと砂層であるようだが、特に地盤的には問題がないという事がわかった。その四坪の土地に、そのまま祖父の隠居部屋を作る事になった。建蔽率に問題がありそうだったが、不思議と書類も通ったので、いっそ、地下室も作ろうよ、という事になった。祖父、鈴木翁は地下室で手記を書きたいなどと云っており、その希望に応えたものだ。工事の準備が始まっている。鈴木翁が地下に潜る準備のようなものだ。
 横川の家も、廃品回収で補助金を得られる事が決まった上、横川が市民大学に通いながらアルバイトをするし、母もすっかり良くなって前倒しでパートを始める事になった。横川の父は、荻元先生のところに通うのをやめた。色情的傾向は修正され、不倫は中止。以前より饒舌になり、人当たりも良くなった。
 卓球部の山田部長も、システム開発の仕事で営業をしている。具体的には、卓球の大会やら卓球協会やら、卓球部やらを巡りながら、システムの提案やすり合わせをしていく。そういう仕事が向いていたようで、学校の偏差値はともかく、前向きに力いっぱい仕事をしているようだ。
 荻元の叔父も、荻元先生や、記者Aとつるんでいるのは不変である。荻元先生は、自分の銅像を作ったら、地中深く埋めたい、と考えている。既に銅像の型はできているのである。記者Aは、それは面白いですね、などとけしかけるが、荻元の叔父はそれが面白くなく、風船をぱあんと割って、溜息をつく。
 すっかり春である。このまま、平穏に日々が暮らせれば良い…とこの街の人間は、そう思っていた。そんな中、著名な大学教授たる、英国人研究者が来街したのである。
 彼は、今回は観光のつもりで来た、と外見上は云っていた。市民大学の研究者ではなく、荻元先生一行をあたって来たのである。荻元先生は、彼を歓待して、どうしたの、どうしちゃったのよ、などとお道化て笑った。
 観光に来たんですよ。この街は非常に不思議ですからね。ハハハハ。空笑いのようだった。その空虚さに、荻元先生は少し、緊張した。記者A、荻元の叔父も集まった。少女荻元は、もう既に都心に出て同棲の準備をしている。大人ばかりの家である。
 記者Aは、空気を見抜いて、イギリスの先生、何かあるんじゃないですか。何か、重要なものがあるんじゃないですか、この街に、などと云った。英国人研究者は、益々、超巨大な大伽藍の如き空笑いをして、笑って、そのまま笑い続けた。何が目的なのだろうか。
 英国人研究者は、今回は、市井の庭の地質調査、発掘調査がしたいのですよ、と云った。何気ない土を見たい、見たい、見たいですなどと云う。それなら、鈴木さんの家でこれから工事するから、それに立ち会っては、と荻元の叔父が云う。
 一行は、鈴木の家に向かう事になった。裏庭でひたすら穴を掘る。重機が入れないため、
手作業でただ、穴を掘る。地下室を作るのである。昔ながらの人足が作業する。それに混じって、英国人研究者も掘りたがった。出てくるのは砂ばかりだ。荻元の叔父や記者Aは、外に砂を運び出すのを手伝った。砂はそのうち、砂岩として固くなってきた。ここからはドリルを使って掘り進めていく。
 作業は軽快に進んだ。荻元先生は、体力もないため、休んでいる。少女鈴木と、少年横川は、さっきまでは工事の様子を見ていたが、飽きてしまい、鈴木の部屋で昼寝を始めた。とにかく眠い事もあるし、市民大学に入ってしまえば、ゆっくり寝る事もできないだろう、どと軽はずみに考えての事だ。
 工事は夕方までに終わった。砂岩を、きっちり地下室分まで掘り終えて、あとはこの上に基礎を作り、鈴木翁の隠居小屋を作るのである。英国人研究者は、満足気だった。そしてこう云った。良かった、何も出てきませんでした。発掘はこうじゃなきゃいけませんよ。楽しかった、もう、私、空港に向かいます。帰国します。荻元らは、あっけにとられたが、ああそうですか、と駅まで見送って、帰した。
 その夜のテレビで、荻元先生は驚いた。著名な大学教授たる英国人研究者が、空港で逮捕されたのである。違法な薬物を持っていた、とだけ報じられた。荻元の叔父は不在だったが、記者Aが荻元先生に電話してきた。
 先生、残念な事になりましたね。彼とは、今後、市民大学やうちの新聞と組んで、色々と面白い事をやっていこうと思っていたんですけど。そう云えば、ちょっと、言動がおかしかったですよね。あんなに、からから、笑う事はないですよ。どうです、また飲みましょうか。明日飲みませんか。
 鈴木の母は、祖父の家の方に居た。鈴木と横川は、工事がされた裏庭を、勝手口から眺めていた。二人で、仲良く立ち並ぶ。
 横川君、ここで、吸い込まれたのよね。不思議ね、本当にそんな事があっただなんて、夢みたいだよね。 
 …本当、そうだ、あれは、幻だったのかも知れないな。俺しか、見てないわけだしさ。春の夢かな。春の。
 そう云うと、横川は、持っていた古いコインを、裏庭の「穴」に放りこんだ。コインは、キラッと光って、うまい具合に砂岩の塊の隙間に入り込んだ。光を失ったようだ。
 横川君、これでゼロになったかな。もう何もないかな。もう、記憶なくしたりしないでね。あたしも、おかしな行動は、もう、やめるよ。お互い、自分を制御しないとね。
 横川は、鈴木の頬にキスして、軽く抱き締め、じゃあ、俺、家に帰るよ、と云った。
 翌日、荻元先生と、記者Aは飲んだ。前回の地下の隠れ家である。
 荻元先生!何か、この街は、色々な事がありますけれども、どうもパッとしませんな。伏線を張りっ放しの推理小説を読んでいるようで、犯人は居ませんでした、という感じで。
 荻元先生は、いやいや、君、そういうもんだよ。実はね、僕はね、端緒は掴みかけているわけだ。この店にしてもね、入口からここまでの道筋にして、おかしい。廃墟が入口なわけだからね。などと神妙な顔つきに。
 先生、そうですよね。でもね、思うんですけど、この街の本当の謎を解いちゃいけませんよ。きっと、人が死にますよ。間違いないです。生きているのが一番です。
 夜は更けていった。このまま、この街は、穏やかな日々が続いていくのだろうか。春の酒は深酒となって、二人を酩酊の旅へ誘う。
 荻元と寺岡も、都心で、安らかな同棲生活を始めていた。これからの大学生活を考えると、荻元の心は弾む。荒んだ主従関係から、対等な愛情ある関係へ。時々は、以前の感覚が浮上するけれども、幸福感がそれを押し潰す。
 寺岡も、今の幸せをわかっていた。荻元の良さをわかっていたからこそ、演技とは云え、かつては奴隷になったのだ。それが寺岡の包容力だった。寺岡のパソコン端末には、地下の事の様々な情報が集まってきた。それは、寺岡の家により、秘密裡に進められていた。しかし、あのエレベーターで降りて、調査させる事はなかった。降りてしまえば、全ては終わってしまうような気がした。
 既に、あのビルディングは、再び施錠をした上に、警備員をつけて閉鎖してある…。これで、一旦は、かたがついた。この街は、平和を勝ち取ったのである。

 

第三章 其処では何があったのだろう

 春の海である。穏やかな海流、まばらな人影。その海の片隅で、再び、得体の知れないものが、海浜に浮かびつつ、寄っていた。そのものは、誰かを探しに来たようだった。
 海に遊びに来ていたものたちは、それを、何かの流木か漂流物めいたものとしか、認識しなかった。それは、誰かを、強く呼びつけているようだった。しかし、誰も集まってくる気配もない。それでも、諦める事なく、しきりに、ピイピイと啼いているかのようだ。
 それは、残念そうに、海の中に消えていった。海の中を潜り、海溝に入っていって、その更に奥の溝に入り、大地へと沈み込み、しみ込んでいった。それこそは、海嘯の化身か、海嘯の具象物のようなものだったらしい。
 さて、ソフトウェア・ハウスの隣の、やはり寺岡が管理しているビルディングの、以前の管理人。彼は退職した事になっていたが、その実、エレベーターを「地階」まで降りていた。彼の名は、南条という。
 南条は、何気ない職務的意識から、エレベーターの地階まで降りていったのである。数時間の降下、南条にとっても耐え難いものだった。そして降り立った時、不思議な世界へと辿り着いたのである。
 エレベーター・ホールは、誰も居なかった。裏側をぐるりと回ると、また別のエレベーターがあった。そちらは、二階から五千階まであった。此処は「一階」にして「地階」なのである。
 外に出ると、南条は思わず身震いした。この建物は、天まで続く建物だ、まるでバベルの塔だ、そして天はぼんやりと光っていて、青い星、これは地球だろうか、そうだ、地球が光っている。
 ここは、月だろうか、と思った。地球が近い。それとも、蜃気楼の地球だろうか。更に外を見渡せば、地平の限り、砂漠が続いている。空気は清浄であり、ゆるやかに風が吹き抜けている。この世界は、誰が作ったのだ。
 南条は、おーい誰か居ませんか!と叫んだ。それは木霊のように響き渡ったけれども、茫洋として何の反応も帰ってこない。
 暫くすると、馬車がこちらに向かってくる。おーい、おーいと叫ぶ。馬車はこちらに泊まった。御者は居なかった。御者の代わりに、機械人形めいた機構が、組み込まれていた。
 そして、南条に乗れ、と云わんばかりに、馬車の乗車部分が、親し気に開く。南条は乗った、ええいままよと乗った、馬車は丁寧に、安全に動き出した。馬車の乗り心地は悪くない、上等なものであるのだろう。
 バベルの塔から遠ざかり、馬車はパカパカと進んでいく。確実に何処かに向かっている。馬車の座席下に、弁当が置いてある。温かな幕ノ内弁当だ、お茶もある、南条は有り難く頂く事にした。腹の減っている時分であるからして。
 一服しているうち、座席のシートのポケットに煙草などもある事に気付く、それで一服する。灰皿も据え付けしてある。南条はすっかりのんびりして、打ち解けてきた。
 そのうち、眠ってしまったようだ。気付いたら、馬車は停まっていた。ざわめいている。馬も大人しく休んでいる。そこには海があった。海、それは活字の海であった。
 これは珍しい…。様々な活字が、海となっている。一文字から、二字熟語、三字熟語、四字熟語、一文節から、中には複数の文節も、海の流れのひとつを形成している。
 南条は、活字をすくい上げた。狡吏、と、夢魘、という活字が掌に乗った、そしてすぐに零れ落ちた。奇福、と、隔靴掻痒、が、数十ずつの海流を為して、水平線に遡上していく。よく見れば、同じ活字も多いようだ。活字は偏在しているようだ。
 犬、猫、豚、熊、羆、案山子、雌牛…活字が、打ち寄せてきた。具象物の活字の一群である。飛沫になって、証券マンの悲劇、という文節、一塊の活字に変わった。
 背後から、轟音がする。見れば、「伏線」である。巨大な、伏線という活字が、活字の海に雪崩こんだ。その活字は、海に流れ揉みしだかれて、沢山の、簾罅、という活字になった。簾罅が、鰯の群れのようにそよぐ。
 ふと馬車が呼んでいる。馬が、いなないている。馬が足を踏み鳴らしている。もう、此処に居てはいけないのだ。南条は、名残惜しく、馬車に飛び乗った、馬車は、ゆっくりと活字の海に背を向けて、動き出した。南条も、もう、活字の海を振り向かなかった。ただ、活字の波の音が、ざんざか、ざんざか、耳に入っていった。
 それから、馬車が何処へ行ったか、南条がどうしたのか、知る者は居ない。ただ、エレベーターは地階で停まっており、その後、横川少年がこの地下世界に吸い込まれた時、この地階から再び地上のビルディングに上がった。南条が此処まで降下していた御蔭で、横川はスムーズに地上へと帰還できた…というわけだ。まず南条が、ここへのアクセスに先鞭をつけていたのである。
 南条は、死んだわけではない。此処で何某かの、所帯を持ったようでもあるらしいが…。
活字と所帯を持って、南条も活字になったのかも知れないし、本当の事はわからない。
 少年少女たちが、大人たちが、地階に、地下の世界に行かないのは正解であったわけだ。
現実的な打算、現実主義、生活の安定。しかし地階への口は、無作為に開いたままだ。

第四章 五月の爽やかな風

 鈴木と横川は地元の市民大学、荻元と寺岡は都心の大学に通っている。頻繁に連絡を取りつつも、次第しだいに、それぞれのコミュニティに溶け込みつつあった。
 市民大学では、以前、英国の教授が行った発掘調査の続きを行っている。逮捕されてから、しばらくは空白があったが、彼の残した調査資料を調べ直しているうちに、この教授の目は節穴であるというような話が出た。やや非凡な結果が出ても、それを「ありふれた事象」として捉える傾向が彼にはあった。普通の研究者とは逆なので、かなり不思議ではあったが、それもこれもクスリのせいだろう、と。
 鈴木と横川はコンビを組んで、この街に残されている遺跡の発掘調査に参加した。やや郊外に石造りの遺跡があり、かつてはここで祭事を行っていたようだ。近くには小さくとも古い神社や寺社がある。鈴木と横川の頭では、何がなにやらわからなかったが、この四年間をやり抜けば、大学の学位が得られるのである。
 荻元、寺岡のコンビは、都心の大学に通っていた。平凡なる授業に飽きて、エスペランド語のサークルに入った。エスペランド語のディスカッションの大会があり、それに向けて討議の訓練を放課後にする毎日だった。
 荻元はそうだが、寺岡は語学の方面には暗いため、かなりしんどい状況だった。文通によれば、鈴木と横川も周囲に馴染みつつもあまり仲の良い友達は居ないようだ。ましてや荻元、寺岡の秘密めいた絆は、都心において浮彫のようになっていた。
 エスペランド語のサークルを何度も辞めようと思ったが、何らかのコミュニティに属していないと不安だ、親しくはないにしても少しだけ親しくなった知人との関係性を切りたくない、などと躊躇していた。
 五月の爽やかな風、黄金週間にはエスペランド語の大きな大会がある。荻元と寺岡は意を決して、部室に「やめます」と書き置きを残して、サークルをブッチする事にした。失踪である。こんな茶番に付き合いたくなかった。何がエスペランド語だ。バカにするな。
 入学してからまだ一か月、最初の黄金週間で、荻元と寺岡は地元に戻る事にした。都心というものに違和感を大きく感じていた。無機質で機械化され合理的な都心、大都会、摩天楼、心のひだまでも磨き上げられたようで、嫌だった。猥雑なるこの街に戻って英気を養おうと思ったのであった。
 鈴木と横川は駅まで迎えにきてくれた。四人は抱き合った。寺岡は云った、ねえ、もう臆病の虫はまっぴらだ、一度だけ地下世界に行ってみようじゃないか。荻元は、寺岡くんが行きたがっているの知ってた、あたしも賛成、と。鈴木と横川は、消極的ではあるが賛成だった。消極的なのは、鈴木と横川に関しては、市民大学で親しい友人ができないという事はあるにせよ、特に打開したいものなどなく、閉塞感もなく、学位を取りたい、という気持ちの一辺倒であったからである。寺岡は云った、君たちの心の奥の方では、本当は謎を明かしたいと思っているんだ、きっとマイナスにはならない、この得体の知れないこの街で、ひとつだけ、オプションが増えると思えばいいんだ。知っているかい?空海というお坊さんはね…。寺岡の長話が始まった。それを五分ほど空耳の上の空で聴き上げたあと、ソフトウェア・ハウスの休憩所へ行こう、という事になった。
 鈴木と横川も、だんだんその気になってきた。寺岡は煙草を吸うようになっていた、横川も寺岡の半分くらいは吸っていた。ソフトウェア・ハウスの社員たちは、黄金週間にてまばらにしか居なかったが、寺岡に対して敬意を表している風で、寺岡さん、都心の大学なんかやめて、市民大学に入りなよ、などと云い、寺岡は、いや、外の世界を知らないのはダメだよ、などと返していた。
 しかし、いざとなれば踏ん切りがつかないといったようで、寺岡などは自身の手のものを使って地下世界の事について調べあげてはいたのだが、しょせんは机上の情報であり、直接地下を見た者も居ない、文献もほとんどないといった状態で、興奮と恐怖心を増幅させたようなものだった。
 ふと、外を荻元先生と荻元の叔父が歩いている。荻元は、こんにちは、と中から声をかけた。荻元先生は、おや、久しぶりだね。元気かい、などと云った。鈴木と横川は、荻元先生らと共同で発掘調査をしている。横川は、荻元先生に、唐突ですが先生、地下世界の伝説というのをご存じですか、と問うた。荻元先生は、ほう君、地下世界を探しているのか浪漫だね、青春だね、と大声で笑った。荻元の叔父も、笑い声に合わせて風船を膨らましては爪楊枝で割り、やはり大きな音を出した。横川は急に恥ずかしくなった。鈴木は、それをじっと眺めながら、やっぱりエレベーターで地下まで行くなんて怖いな、あたしは地下三階でも怖い口だもの、何とか言い訳をみんなで作って、こんな事やめちゃおう、と強く思った。
 荻元先生らが去って、再び、地下に降りるか否かを話し合った。寺岡は、依然として降りる派であり、荻元はそれに追随、横川は中立、鈴木は絶対反対、という立場であった。鈴木は、未来のある立場であるあたしたちがこんな命を賭した冒険をするもんじゃない、ジェットコースターだって死ぬ人が居るのに、怪しげなエレベーターを使うなんて正気の沙汰じゃない、と懇々と反対の意を示した。
 寺岡は告白した、僕だって心の中では怖いんだ、死ぬかも知れない、だけんどもさ、やってみなきゃだめじゃんよ。青春じゃんよ、などと云った。寺岡の論理は次第しだいに破綻していって、そうかい、そうかい、と相手を首肯するだけで、中身が伴わなくなった。そして小さな地震があった。揺れを感じるほどであった。鈴木はすかさず、ほら、もし安全に地下まで行ったとしても、そこで地震が起きたら生き埋めになるよ。鉱山でも今まで何人も死んできた、ましてや、何千メートルも地下かも知れないところで、どうなるのよ、などと訴えた。横川は、鈴木さんが怖がっているようだし、海でも見に行かないか、と云った。既にこの計画自体が閉塞感を発生させている今、何れにせよ、五月の海を見て爽やかなる風に吹かれるのも一興だろう、と一同は同意した。
 海まではソフトウェア・ハウスの社員が車を出してくれた。海は静かで、とても楽し気だった。社員は車で帰った。帰りは歩いてもなんとか帰れる距離であるしバスもある。横川は海岸まで近寄って、やっほう、と叫んだ。みな失笑した。水平線から何か近付いてくる。とても早い。それについて何か思う前に、それは海岸までにじり寄って、ざざーんと浮かびあがった。海嘯の化身であった。
 横川は驚くでもなく、やあお前か、お前の事思い出したよ、どうだい調子は、と云った。鈴木は、また横川の悪い癖が始まった、と溜息をついた。荻元と寺岡は固まっていた。
 横川は、そうか、呼んでいるか。でも行けないよ、もうお前と一緒に行かないと約束したんだ、と鈴木の肩を抱いた。横川と海嘯の化身は、言葉ではない伝達手段で話しているようだったが、傍目には会話をしているように思えた。
 寺岡は頭に血がのぼり、懐中からナイフをさっと取り出してその得体の知れないものに投げつけた。海嘯の化身は、口を大きく開けてそのナイフを食べた。そして、横川以外のものにわかるように、よく響く声で、このように云った。
 我は、悪しきものではない。諸君らが、これから、地底の方へと行かれるか迷っているようだ。我は諸君らに言葉を残そう。横川の背中には、しるしがある。横川さえ居れば、諸君らは往く事ができ、還る事ができよう。再び横川に、古きコインを渡そう。それを守りにして、好きなようにするがいい。我は、諸君らに、諸君らの好きなようにしてもらいたいのだ。どうしても行きたくなければ、行かねば宜しい。ただ、もし行ったならば、その古きコインを、地底のところの何処でもよい、置いていってくれ。
 そして海嘯の化身は、物凄い水飛沫と音を立てて、海へと消えたいった。急に天気が悪くなった。海が荒れ始めてきた。横川は、今来たのは友達だ、悪いやつじゃない、だけど気持ちが高ぶって荒れているみたいだから、直ぐにタクシーで帰ろう、と云った。みな横川に従ってタクシーを拾って帰った。数十分ほど天気があれてスコールみたいに降り抜いたが、すぐにカラっと晴れた。
 再びソフトウェア・ハウスの休憩所。寺岡は完全にびびってしまったらしい、やっぱり鈴木さんの云うように、危険だからやめようか、などと云った。荻元は、えー、寺岡くん、面白そうじゃない、と半笑いになる、横川はまあどっちでもいいけど、とそっけなく、鈴木は、あたしもどっちだっていいよ、寺岡くんが嫌ならやめようよ、と優しく笑った。
 若者たちがこのようにグズグズしている間、荻元先生と荻元の叔父は動き始めていた。発掘調査や資料を研究しているうちに、独自のルートで、例の地下へと降りるエレベーターの存在を突き止めたのである。記者Aも呼んで、この三人組で降りてみようじゃないか、と決めたのである。
 
そしてソフトウェア・ハウスの休憩所に、鈴木の母と祖父がやってきた。鈴木は、何よ、と嫌そうな顔をした。母は、群馬のお婆ちゃんの棺の蓋がね、開いたままなのよ、閉めてこなきゃいけないの。これからお祖父ちゃんと一緒に行かなきゃいけないから、留守を頼むわね。これ鍵。お金は何時ものところにあるわ。そう言い残すと、母と祖父はそそくさと駅の方へ行ってしまった。鈴木はぽかあんとした顔をしていた。横川は、そうか、家族が居ないのか、とだけ思った。
ゴールデンウィークである、駅前のデパートの屋上でも行こう、と寺岡が云い、一行は屋上に向かう。晴れ晴れとした良い天気でありとても気持ちが良い。屋上では縁日がやっていた。タコ焼きを買って食べる。タコ焼きの中には蛸が入っていた。横川が、この蛸、見覚えがあるぞ。とだけ云った。荻元は、おかしな事を云わないで、と怒気を強めた。
その間に、荻元先生、荻元の叔父、記者Aはエレベーターの前に居た。管理人も一緒である。管理人は、やめときなさいよあんたたち、あの若い人たちだって結局行かなかったようなんだよ、年齢を考えなさい、寺岡さんのところからもね、このエレベーターは使わないようにと云い含められているんだよ、いくら荻元先生が一緒だととは云ってもね…と早口でまくしたてた。荻元の叔父は、まあ聞きなさい、と云うやいなや、懐から風船を出して膨らませた。それはどんどん膨らんで、エレベーターホールを圧迫するほどとなり、荻元の叔父以外のものはその圧によってどんどん押しやられた。荻元先生は、君、よしなさいなどと云い、記者Aはこの行為にユーモアを感じてにやにやしながら、わあ大変だ、などと他人事のように喚く。管理人は、わかったわかった、好きにしなさい、と言い残して、風船の圧から逃れて、身をよじって管理人室に引っ込んでしまった。すると荻元の叔父は、待ち針で風船を刺した。しかし皮が厚いために刺さったままとなり、立ち往生したので、荻元先生が忘れ形見の手習いの合気道で喝、を行い、風船は、ぱあんと割れた。荻元先生は荻元の叔父に、君、僕に何をさせるのかね、すっかり気が萎えてしまったよ、少し休もうか、などとやる気を失くしてしまった。記者Aはとんだ茶番の間に姿を消してしまっていた。仕切り直しが必要そうだった。   
荻元先生と荻元の叔父は相談して、業者を随伴して通信設備の工事を並行しながら地下世界への移動を行う事にした。何しろエレベーターが通じているのだから、電気も下まで通じている筈だ、文明が接続されているのだから、連絡手段を開拓していけば何も危険な事はないだろう、と思ったのである。業者等に連絡して、再び記者Aと待ち合わせる事として、明後日にはその段取りが取れる事になった。業者は先乗りさせ、今日の午後にはここに来させて、準備をしていくのである。荻元先生は、けっこう大きな工事だから、金がかかるな、また美術品を二、三、いや十ばかし、売り払わなければならないよ、と苦笑した。
荻元の叔父は、割れた風船の残骸を丁寧に拾いながら、自分も少し出しますよ、新聞社にも出してもらいましょう、と弱々しく云った。
鈴木が家に帰ると、ドアには鍵がかけられており、母から渡された鍵で開けようとするも開かない。丁度巡回の警察官が来たので、お巡りさんどうしよう、などと云うと、顔馴染みの警察官は、それじゃあ留置場が開いているからそこで寝泊まりをしたらどうか、いや留置場とは云っても牢屋番の方だよ、只、只、そこに居れば良いのだから。などと真剣に云う。それは丁重に断る事として、仕方なく荻元の家に雪崩れ込む事にした。
荻元の家に行くと、荻元が真っ青な顔をして玄関の前に立ち尽くしていた。どうしたの、と聞くと、家と土地の権利を第三者に差し押さえられてしまった、自分の私物等も取り出す事ができない、よくわからないが同居している荻元の叔父が、自分の持ち分を担保にして金を借り、それが複雑にこんがらがってこうなってしまったらしい、と荻元は云う。そのうち何とかなるにしても、しょうがないので二人は横川の家に行く事にした。
横川の家は、大丈夫だった。横川の父母は、鈴木と荻元に強く同情し、あんたら大変だね、でも今に芽が出るよ、それまではうちにいなさいね。と優しかった。横川はコンビニに出かけており、帰って来るや、あれどうしたのー。などと呑気に云う、寺岡君が急にモンゴルに出張になってしまって、もう成田空港に向かってしまったのだ、と横川は云う。荻元は、寺岡が急に遠い存在になってしまったように思った。今までも出張はあったけれども、自分に黙って行く事はなかった。だが荻元は寺岡をちゃんと信じよう、と直ぐに思った。
荻元の叔父は、地下世界への施設工事及び調査に向けて、着々と手を打っていた。自分の土地と家の所有分を直ぐに抵当に入れ、資金を得て、荻元先生のところに転がり込んで風船を膨らませたり萎ませたりしながら、地下世界への夢だけはチューリップ・バブルのようにむくむく膨らませていた。荻元先生は、他人の金勘定にはあまり興味がない方で、荻元の家が失われても我関せずという感じ、一応は同じ親族なのであるがそれは君個人の問題だね、と個人主義。合流した記者Aもまた、ドライな気質で本当に何とも思っていないようだった。やさぐれた世間師三人の計画は、順調に進んでいた。
さて、出張に出かけた寺岡は、モンゴルの空港に居た。羽織袴のいでたちで、スーツのアジア人数名と歓談し、そのまま車に乗り込んでいった。車の中で、寺岡は、済まない、早く切り上げるからな、君に訳を言う時間があればもう一本前の飛行機に乗れたのだ、君に対する不安を犠牲にして早く戻ってこれるのだから…済まない…と念じ思っていた。そして彼らを促して、車中で商談のイントロダクションを奏で始めた。
鈴木の母と祖父は、群馬ではなく長野に居た。路線を大きく間違ったのであった。しかし、棺というものは何処にでもある、駅前の公衆電話の電話帳から縁のありそうな葬儀社に連絡し、そのままタクシーで向かった。
葬儀社では慇懃な男が非常ににこやかに対応した。そうですか、棺の蓋ですか、それは開けたままではいけませんね。何、群馬。全く方向違いですなあ。でも、ご供養に他人身内の差などありません。ここで勤めてみませんか。そこまで言われて、憔悴しきっていた鈴木の母と祖父は、その珍妙な申し入れを受けてしまった。そしてそのまま、長野の葬儀社の社寮に、即日入る事になった。娘には電報を出しておけば良いだろう。その電報はかくの如くだ。
イマナガノニイル カエレナイ ウチノコトタノム
そしてその電報の宛先は、鈴木の家の遠縁にあたる森本であった。森本は小さな書店を営んでおり、少女鈴木の事もよく知っていたが、不親切で無聊な人物であって、その他の様々な郵便物に紛れたこの電報を、ごみに捨ててしまった。こうして一切の連絡は途絶えた。
荻元の叔父、荻元先生、記者Aの三人組は、地下世界への工事算段が済んだため、業者と待ち合わせてエレベーターの前に集まった。工事の前準備は終了していた。エレベーターのドアに穴を開け、そこから通信ケーブルを這わして長いロールをセットしてある。エレベーターが下ると、通信ケーブルも一緒に降りるので、ケーブルを地下まで這わせる事ができるのである。充分に長い通信ケーブルを確保してあり、これはうまくいくように思われたし、業者の声も明るかった。
さて、いざエレベーターに乗り込まんと業者が先陣を切ったが、表情は突然暗くなった。エレベーターが下に降りる事ができないようなのだ。業者は云う、こぶし大ぐらいの幅を挟んで、何か遮蔽物が地下への道を塞いでいる。地下へエレベーターを下らせる事はできないだろう。諦めて下さい、だからこんな変な仕事は何かしらあるね、やっぱり、ハハハハハハ。業者はこれまでの作業を精算して、もう手を引くようである。地下への道、が閉ざされた、唯一の道である、そして荻元先生の足が痛い、とても痛い、近くの診療所へ駈け込んだら、足を切断しなくてはいけません、尿道にもカテーテルをぶち込んで検査しましょう、などと医師が云う。荻元の叔父には、借金に関する内容証明が来た。この矢継ぎ早の現実問題に、一行、大いに士気を削がれる。記者は記者で、近隣県への取材の命令が下される。三人組は崩壊の憂き目に遭い、かくして、地下世界へと冒険せん、という意志は、現実的にも理念的にも破壊されたのであった。
大人の三人組が瓦解し、残された冒険予備軍は例の若者組だけとなった。すっかり冒険心をなくしてしまった彼らであったが、鈴木、荻元、横川らは、もう一度エレベーターのあるビルに向かった。荻元の叔父らが撤退してから二晩を数えた翌日である。
管理人から、荻元の叔父らが諦めて帰った旨を聞く。現在は横川の家で暮らしている鈴木、荻元らの少女…であるが、心細さは共同生活によって打ち消され、若さで乗り切っている。
さて、エレベーターに乗るだけ乗ってみようとボタンを押す。内装が変わっている。何時の間にか鏡張りの内装となり、張り紙がしてある。曰く、
地下までのエレベーター使用には、コイン投入口に百円を入れて下さい
三人は狼狽した、これは一体誰の手によるものなのか。降りて管理人室に駆け込み、押し問答のように聞いてみる。管理人によれば、自分は知らない、荻元さんたちが手配した業者によるものかも知れないけれども、業者はあれ以来来ておらんし、まあ、不思議なエレベーターだよね、はははは。管理人は電話帳で何か調べているらしく気もそぞろであった。それだけ云って笑うと、熱心に電話帳を繰り、アドレス帳を参照し、そして輪ゴムを色付きのものとそうでないものと分別し始めた。
鈴木は、横川君、どうしたらいいと思う、このままじゃあ怖くてしょうがないよ。荻元は、嗚呼こんな時に寺岡君が居てくれたら、と嘆いた。そのタイミングで寺岡が来た、再会を喜び合う、モンゴルのロシア村で買ったマトリョーシカがお土産、それを管理人に渡す、鈴木と横川にはビーフジャーキーを、彼女の荻元には刺繍のハンカチーフと「詩集」を渡した、こんな時に駄洒落れている場合じゃないんだけど、人間余裕が必要で。そうかそうか。一同納得。
早速寺岡の目で新装のエレベーターを検分する。これはちょっと不気味だね、冒険への誘い水か、軽々しく百円を入れてしまわないとも限らない、よし電源を元から落として使えないようにしよう。電盤から電源を落とす。しかしエレベーターの電源は落ちなかった。寺岡は大いに焦る、これは電気系統から何から変わってしまったようだ、そして電気関係の事を器具で色々と調べる。寺岡は真っ青な顔になる。鈴木と荻元も事の重大さが少しはわかる。寺岡の理解によれば、今、エレベーターの電気を元から落とす前から電気系統は既に変わっていたが、落としてしまったせいでもう完全に制御できなくなってしまった。このビルは乗っ取られたのだ、恐らく地底人に…。
横川は陰のある表情でにやりと笑って、いいじゃないか、そんなに悪い人たちじゃないようだし。横川君何か知っているの、と鈴木。荻元は睨む。横川は、まあまあ、皆で僕の家に戻ろうよ、意味深な事を云ってみただけだから、などとおどける。その日は横川の家に皆で泊まる。鈴木と荻元の家庭の事情は、目下進行中であるが、様々な小事件が群発して言葉にもならない。
そのままの膠着状態で、一年が過ぎ、再び四月になった。大学二年生である。鈴木も、荻元も、このまま彼氏の家に籍を入れようかと考えていた。何しろ両親は不明の状態が続いているのである。寺岡の管理するビルは、実際には乗っ取られてはいなかったが、エレベーターは危険なので物理的に封鎖した。ビルの上階も多少は人が入っていたようだが、別のビルに移ってもらい、今は管理人室が稼働しているだけの無人ビルである。
いざ、現実を考えてみれば、誰が作ったとも知れないエレベーターに乗るなどといった事は狂気の沙汰であるし、ニュースを見れば子供じみた冒険には必ず死が待っている。よく名の知れた山、海でさえ、死人が出るのである。これに百円を入れて降下するのは、無手勝流で戦場に赴くのと同意である。
鈴木、横川は、市民大学で地域の遺跡調査に没頭していた。遺跡には浪漫がある。城跡を調査していると、巨大な地下回廊がある事がわかった。その規模が世界的レベルである事がわかり、欧米やその他海外から本気の調査団が加わった。空前絶後の地下回廊である。卓球ブームが下火になっている中、この文化資源はこの街に強烈なショックを与えた。市民大学の偏差値はみるみる上がっていき、寺岡や荻元が通う都心の某大学を凌駕せんという破竹の勢いである。
地下回廊の年代は、はっきりしなかった。このあたりには大きな豪族、勢力というものはなく、文献と一致するものがない。学会では捏造説も出る始末であった。年代を調べようにも、回廊があるだけで全く遺物というものが存在せず、貝のかけら一つ、びた銭古銭の一つ、それこそ古い木の切れ端一つ出てこない。
そして大学三年生となった。鈴木と横川、荻元と寺岡は結婚した。身内も不明なので簡単にやろうか、と云っている矢先、鈴木と横川の両親その他家族が帰還した。噂を聞きつけたのだという。やっと正気に返ったらしく、自分たちの不明を詫びる。ただ、荻元の叔父、荻元先生、それから記者Aとは連絡が取れなくなっていた。寺岡は、もしかしたら地下へ行ったのかも知らん、と思った。電気系統をハックして、エレベーターがもし使用されたらログが取れるようにしてある。他の人には黙っていたが、あれから一度だけ、エレベーターは一度、降下して、翌日の夕方に戻ってきている。夜にエレベーター内部を調査したが、何も残されてはいなかった。地下に飲まれたのだろう、というイメージめいた印象を持った。
しかし、それにしても、結婚式はあっさりと終わり、この四人組も大人になってゆく。地下へのエレベーターという爆弾を抱えたままで、このまま成長し、老人になっていくのだ。地下回廊はただ広いだけで、何もない。まるで僕たちみたいだ、と寺岡は思った。二組の連れ合いは、そのまま、幸せになった。
 寺岡は、何となく釈然としない気持ちの中から、過去の事を思い出していた。高校時代、無宿人の少年として生き、周囲を騙していた時代。それを順繰りに思い出して、はた、と手を打った。
 忘れていた事があった。忘れさせられていたのか、自ら忘れようと努力したのかは判然としないが、自分たち四人組のもっと前の過去があった。その事実は、少年時代の淡い記憶だの追想だの、想像だのとないまぜになって、不確かなイメージとなって霞んでいたのである。
 二組の結婚式は、疾風のように過ぎ去り終わってしまったが、今なら、思い出す事ができるのではないか。まず自分が思い出そう。そして、それを、荻元や鈴木、横川に話そう。蛇足ながら、寺岡・荻元ペア、横川・鈴木ペアは夫婦別姓である事を了解されたい。
 それは、中学二年生の夏の事である。寺岡の意識はその時代に飛んだのである。

未完


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