父親なり、先生なり、先輩なり、
大人が怒ったとするじゃないですか。
ずっと怒っている訳にはいかないので、
いずれ矛を納めますよね。
これで矛を納められない人は犯罪者になる可能性が
高いので、そういう人は除外します。
その矛を納める、やり口です。
これはとっても難しい。
僕たちは、子供だったり、少年だったり
青年だったりしているうちに、何時の間にか
大人になって、大人として怒る日が来る、
僕はもうその日が来ている訳ですが、
シレッと怒りの矛を納めて、ニコニコ心から
笑って良いのかな?と、その前まで怒っていた
自分に義理立てするような感情があって、
すっきり矛を納められないなんて、気分にも
なるんですね。
今、こういう文章を書いている以上、
僕は矛を納めているといった塩梅式になります。
人間によっては、負の感情がないなんていう
人もいるらしいですが、普通の人である僕たちは、
負の感情が消えていくのを何度も見ている訳なんですが、
これは、日和りもありまして、難しい事です。
思えば、子供の時も悔しくて仕方がない日も夜も
ありました。枕を涙で濡らした夜もありました。
何れ、陽は登る、とはいえ…。
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このページは、2019年6月22日の午後5時07分に最初に書かれました。
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