寂れていく沼津

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寂れていく沼津、これはもう避けようのない運命である。
しかし、個人も一緒になって寂れる事はないので、
個人のやれる事をやる。
 
街づくりに参加しましょう、と言われるが、
最も大事なのは労働力を提供する事、
納税する事、家族を作り維持していく事。
 
何も難しい事はなくて、「楽しい」という事、
それが最も大事で、
これについても、かなり微妙なところがあると
言うか、まるで学校のオリエンテーションを
楽しいでしょう?と微笑む教員と生徒の落差というか、
趣味に合うものは楽しいし、
そうでなけりゃどんなに豪華絢爛でもつまらない。
 
今、どういう感情かというと、
いっときの怒りや嘆きの感情は鳴りを潜めて、
ただ…哀愁や…慕情というものが…。
 


 
僕は思う、生きているだけで偉いのだと。
いやーそんなあいだみつをみたいな、と思われる
向きもあるかも知れないが、
少なくともギリギリ生きていける自尊心のレベルを
本当に低いところに保つ事は大事かと思う。
 
朝、ここのところ、外出して少し歩いたり
自転車に乗ったりしているのだが、
朝の沼津の街の顔というのは清々しくて、
シャッター通りだろうと何だろうと
とにかく生きていく、生きていく、
 
結局難しい事を言おうとバカだろうと
人間はいずれ死ぬ訳だ、
死んでる人間だけでなく
生きている人間にも手を合わせよう、

そんな風に今日も合唱
南無妙法蓮華経
レー麺ソーメン冷ソーメン
ヤーッ!!!!


この記事について
このページは、2018年11月3日の午前7時04分に最初に書かれました。
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