日経の哲学対話の連載が終了した。
言いたい事はわかるし、悪い試みだとも思わないし
それどころか有意義だとは思う。
だが言いたい。
この手の、きっちり場を設けて、その中では
そのように議論できたとしても、
自然な場で、野生の場で、社会の場で、
突然それが始める、始まる、自分で始める、
アニメの「風立ちぬ」などを見ても、
侃々諤々というもので、ファシリテーターなんて
気取った名前なんかなかった、
ファシリテーターが居ない状態が普通であって、
これがファシリテーターを育成なんていうと
おかしな事になってくるし、
理不尽を涙を飲んで我慢し、
理不尽に逆らって復讐され、
そういう「社会」の場において…
結局、良い環境にいる人たちのゲームでしか
ないのではないかと思う。
根本的な「問い」などね…と思う。
例えばコミュニティ、自治会の連中で、
「本当に自治会は必要なのか」「自治会の役割とは何か」
という車座の話、それはまずできそうにないし、
この手のものは、いつも流行すれば、
商工会議所や東京のコンサルが形だけ、形だけ、
しょせんファシリテーターは外部の人間であって、
「問い」なんて、本当に始めたら、どうなるか、
どうなるか、とは思う、まずこの記者が、
日経新聞の中で同様の問いなど、できようがない、
ファシリテーターを招聘して真似事、ままごとでしかない、
こういう枠の中でやるのでなくて、
普段のコミュニケーションで、どう、言いたい事を言うか、
その困難性は、このような、ママゴトで解決するものではない、
という事は言っておきたい。
それが言えれば苦労しない、である。
この手の意見出しは、何度かやったからわかるが、
僕のように中身のない人間、経験の少ない人間には
大変に辛い作業であって、これ、このやり方、
カルトにも転用できる、うまい誘導もできる
やり方である、とは警告しておきたい。
本やGoogleの知識を捨てて下さい、と言っておいて、
プリミティブな意見を出させて、出がらしにさせて、
巧みにまとめて、全肯定しつつも誘導して、
少なくとも、外部のファシリテーターに任せて良いんですか?
って思う。このファシリテーターが邪悪だったら?
そんな風にならないのは、やはり頭の体操、ゲーム、
ビジネス・オリエンテーションの域にあるからであって、
「問い」を鍛える事の称揚がどうも鼻について、
頭に何もなければやはりダメなのである、博覧強記という言葉が
軽んじられる時代に、この手の車座だけをフィーチャーするのは
どうなのか?地球平面説のような愚論に堕ちてしまわないか?
この手の問い、懐疑を、標榜していた知人に、
向精神薬は飲んでも無駄と言われた事があり、
やっぱり、カルトへの道になりゃしないですか、
それでセンスが良ければお笑い芸人にでもなれるんだろうが、
カルトへの道しか見えないね。
「彼のファシリテートは間違っていたけれども、僕たちの
ファシリテートは違うんだよ」と反論がきそうだが、
記事にもあったが、やはりファシリテーターありきの
個人芸みたいになってしまうんですね、
一冊の本を囲んで輪読する、熟読する、精読する、
こういうのも絶対必要な事であって、
もうね、今更ファシリテーターですか?
狼男を撃つ銀の弾丸はないんだよ。
そんな訳だよ。
悪文的というか、冗長に書いてみる文体にハマっているので、
まあ、読み辛かったかしらん?
この記事について
このページは、2019年5月17日の午後3時23分に最初に書かれました。
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