短編小説「残された二人」
神田駅からだいぶ、歩いたところにボロい雑居ビルがあって、その3階に5坪ほどのオフィスがある。私と田中が、そのオフィスに残っていた。社長はいなくなり、中途2年目の私と、新卒8か月の田中しかいない。時はもう12月であった。鳴りっぱなしだった電話も鳴らなくなり、時々、ファックスが動いている。
私と田中は営業職であった。給料はいまだ、どうしてか振り込まれていた。私と田中は、そして、それでも、亡霊のように営業を続けていた。一日、得意先を回り、淡々と仕事をしていた。
田中は言うのである。
「課長。最後まで、仕事をする事が大事ですよ…」
そんな時、私は、言葉少なに、アパートのベランダの事を思い出している。喫茶店でそんな事を話していると、社長が歩いていた。目はきらきらと輝き、しかし、スーツは酷く、くたびれている。よく見れば三歩下がって、社会福祉っぽいオバサンが歩いている。廃人になったか発狂したのだろうか。田中は、それに気付いて、
「うん。社長も頑張っているようですね」
と、無表情に笑うのだった。けらけら、と笑った。私はもう、恐怖すら感じなかった。ベランダにある、サボテンの代金が、今月、クレジットカードで引き落とされる。そうすると、私の口座にはあまりお金が残らなくなる。
「田中よ…」
私は、田中に、金を借りる事にした。
「お前、金はあるか」
田中は、怯えた顔をして、
「か、課長。恐喝ですか。そこまで、この会社は落ちぶれたと言うのですかwwwwwww」
草を生やすように、田中は恐怖の中で冷笑したように見えた。私はかちん、ときて、
「ようし、賽は投げられた。東京大学で、大型営業しようじゃない。まるで、別人のようにさ」
でまかせを言ってみた。田中は、真面目に反応した。
「別人のように、ですか。それでは考えがありますから、ついて来て下さい」
そう吐き捨てると、田中は、足早に歩き出した。私は、意地になってついて行く事とした。方角は東京大学の方ではなく、よくわからない方向だった。田中は方向音痴なのだ。私と行動しているからこそ、外回りができる。私は、お手並み拝見、とばかりに、嫌味な笑いを浮かべてついていった。
田中は、まるで喉の奥で飴玉を転がすように歩いて、砂漠で雨乞いをするように信号待ちをし、そして階段を降りていった。そしてスイカでさっと地下鉄に入る。何の路線かもわからぬまま、私は、別人のように、田中に従っていった。乗った地下鉄はひどく古く、幽霊列車のようだった。電車は地上に出て、何者かもわからぬホームへ停車した。
どやどや、どやどや、と、戦後の人間が降車した。そして私と田中だけが、ホームに残された。いつの間にか夜で、月はなく、ホームの灯りだけが薄く静かにその場を照らした。田中は、疲れてはいないという風に、ジャンプをした。
「田中!ここは何処だ」
田中は、済まなそうに、
「す、すいません。何処かわかりませんwwwww」
草を生やすようにやはり、笑った。朗らかに笑った。私は少しもリラックスしなかった。ホームのベンチに座った。田中は自販機でコーヒーを二つ、買ってきた。
「これから僕たちどうなるのでしょう」
「………」
12月の駅のホームだったが、何故か、じんわりと暖かった。気違いじみた気持ちは、それにより、正気に戻された。ここは何という駅なのだろうかと、標示を探す。「谷野町テンボス」だった。
「ヤノマチテンボス、か。一体何処だ」
「課長。万事休すですな」
田中は、爛々と目を輝かせ、むくむくと膨れ上がった。スーツは弾け、田中は入道となった。私も膨れ上がり、サボテン人間となった。それぞれ完成すると、鉄道運送の人間が我々を縛り上げ、貨物列車に載せて、我々を遠くへ運んだ。気を失った。
気が付けば、我々は、宇宙の外にいた。そこは、真っ白な世界で、とても居心地が良かった。田中と私は、きっとこれは精神病院で見ている夢なんだろう、と慰めあったが、事実、異次元の世界に我々はいるのであった。
そして、会社のファックスは、まだ、時々、動いているし、給料も振り込まれているらしい。それは何となく、感じるだけの事であるが。
(終)
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このページは、2015年9月5日の午後4時44分に最初に書かれました。
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