病気と性格

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精神医学の発展というのは、ますます、
性善説的に、非性格的になっているように思われる。
 
「そもそもやる気がない」のと「軽症うつ病」。
「ひどく怒りっぽい」のと「境界性パーソナリティ障害」。
これを、どう判別していったら良いのだろうか。
 
「軽症うつ病」は、そもそも、人間というものが
落ち込んだり、やる気がなかったりするのは異常である、
といった性善説に基づく。
 
「境界性パーソナリティ障害」は、元来、人間は
お互いを助け合って生き、怒るべき時は然るべき理由を
もって整然と怒るものであり、そこから逸脱したものは
障害であると見做す。これは非性格的な見方だ。
 
このように、性善説的に、非性格的に診断された
病像と、脳の画像や脳波の因果関係を取ったところで、
結局はこの性善説的/非性格的な見方は残ってしまう。
脳には直接アプローチできず、患者にアプローチ
するのが医者だからだ。
精神療法を伴わず、ただ服薬しても、効き目はだいぶんに
下がってしまう。
 
他の児童が困惑する行動を取る問題児、プチ問題児が
「発達障害」や「アスペルガー」と診断されるに至っては、
精神医学の病像、病名というものを、あまりに無邪気に
信仰しているように思える。留保、が必要なものも
多いと思うのだが、どうか。
 
児童の精神衛生の問題に関して、全ての児童が
「生きやすい」と思うようであれば、それは洗脳教育という
ものではなかろうか。抵抗があって、不和があって当然だと
僕は思う!「生きづらさ」があってもそれは何もおかしい
事はない。「生きづらさ」があるからこそ、人は何か
自分が夢中になれるものを探すのであって、
何でも福祉や教育で解決しようというのは、僕は
どうかと思う!
 
例えば、戦前の軍国主義に馴染めなかった人たちは
精神的に病理を抱えていたのだろうか?そうではない。
現代の社会や、会社や、学校の価値観に馴染めずに
「生きづらい」と感じる事は病理だろうか?
つまり、話は戻るが、どこまでも性善説的であり、
どこまでも非性格的なように思う、というのは、
ご理解頂けただろうか。
 
ただ、精神医学の臨床を重ねていく事で、この分野は
人文学にも近いため、人間というものに対しての理解が
深まった…という功績はあると思う。精神医学は、
文化というものと、医療というものに架けられた
橋のようなものだ。


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