発達障害は精神病ではなく、脳の機能的な障害だ
などという言い換えもあるようだが、脳が問題だから
なんて言われると、「それじゃどうしようもない」
と思うようにならないか…。
発達障害は親のしつけは全く関係がなく、
純粋に脳の機能的障害である…?あらゆる精神病や
その周縁の事は、本来の性格や、環境、
社会がそれを許容されるか、というのに左右される
だろう。
ウツ病などもそうで、根暗な人がウツ病になるのと、
陽気な人がウツ病になるのは違う。何でも脳に結び付けて、
病前性格というものが語られにくくなっていないだろうか。
脳は、常に精神や意識に先立つのだろうか?
精神や意識の有り様が先立って、脳に反映されている
という考えもあって、そうでなければ、精神療法や
認知療法や作業療法は成立しないだろう。
例えば、ごく親しい人が亡くなったとして、それを契機に
ウツ病になったとする。この場合、「親しい人が亡くなった」
という現象が先立っているので、あくまで、脳のウツ状態は
それを反映しているもの、と考える事ができる。
脳というものの状態は、決して宿命的でも、運命的でも、
決定的でもなく、本人の性格や、努力や、休息や、社会や周囲の
状況に大きく左右されるものだ。
脳、そして遺伝子についての、宿命的、運命的、決定的な
考え方が、古い人類の考えである、
「親の恨みが子に報い」というような、血縁の呪いと
結びついて、非常にアレルギー的な反応を社会が示して
いるように、僕には見えるのである。
何でも母親のせいにするのは論外だが、
社会が許容できないものがDSMやICDの疾病分類に入っている
フシもあろう。ゲーム中毒は社会が許容できなくなったからこそ
ICDに組み込まれた。
かつて、精神分裂病が精神医学のキモとされ、これを物神化する
向きもあったようだが、発達障害の支援法の成立などを
見ていると、21世紀という時代は、発達障害というものを
物神化するような動きはないだろうか。
ある地方で、レビー認知症の講演をした後、その地域で
レビーと診断される人が増えた、という逸話もある。
精神病の疾病分類というのは、気象の分類に似ている部分も
あって、どこまでが台風で、どこからが熱帯低気圧かは
判別がつかないところがある…などといった考えもある。
脳画像や血液によるマーカーが確立する見通しも暗く、
恐らく、患者ひとりをモニタリングするものとして何とか
機能するか、しないか、といった状況だろう。
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