https://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2019/05/post-12218.php
「人間関係の希薄さに救われることがある」これだけの理由
2019年5月29日(水)17時00分
荻上チキ(評論家)、高 史明(社会心理学者)
人間関係は濃密な方が良い、少なくとも世間的には濃密な方が
良いと、いわば強迫観念に駆られていた部分が僕にはあるのだが、
このような記事を読んで、少し、楽な気分になった。
僕は、噂話をするようなコミュニティが本当に嫌で、
誰がどうした、誰がどうした、ちょっとお前黙れよ、とずっと
思ってきたのだが、僕は希薄な人間関係を多数抱えている方が
気楽なタイプであり、濃密なコミュニティを維持する事が苦手だ。
こう見えて、ひとつの事を掘り下げるとドツボに嵌まるタイプであり、
学校の授業でも、新しい分野の触りだけをやるのはまあ、我慢できるが、
掘り下げて考えるというのは実は苦手なのである。
コイン収集なんかもしているが、例えばジャンルとして「円銀」があるが、
円銀を掘り下げるというのは本当に、嫌な気分にすらなるし、
軽薄短小と揶揄されてきた、「薄い人間関係」を、今一度、再評価する
必要があると思う。
「親友神話」である。「ズッ友神話」である。
SNSで相互に人間関係を結ぶ、そういう関係性を、きっと嫌に思う若い人たち
もいると思う。デジタル・ネイティブ論は、そういうところを
見ていない。若い人は皆、SNSにハマっていると思っている。
僕が「親友神話」に唆されたのは、はっきり言って保守系の本に
ハマっていたせいであり、そういう意味で、濃密な人間関係の
いわゆる「三丁目の夕陽」の復権を唱える、その癖、都心で
暮らして都心で出版活動をする保守論壇には、はっきり、
「お前ら馬鹿だな」と言い続けたい。
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